世界遺産「白川郷」をもっと深く知る
真冬の白川郷を訪れると、厳しい豪雪地帯で自然との共生に必要だった「協働の力」が、世界遺産につながったと感じさせられます。教育委員会の松本継太さんの話からは、住民の皆さんが日々の暮らしを守り続けていくことが、伝統文化を守ることにつながっているのだと伝わってきました。
<この記事は、(株)岐阜新聞社と岐阜県観光連盟との共同企画で制作しました。>
訪ねた人:松本継太さん
白川村教育委員会の文化財係。修理技術者として村に移住した1998年から現在に至るまで、合掌造りの研究や保全、技術継承の活動に取り組む。
たくましく生きる世界遺産・白川郷
世界遺産・白川郷合掌造り集落は、田畑の合間に茅葺き屋根の合掌造り家屋が114棟も立ち並び、その素朴で美しい姿は“日本の原風景”とも謳われ、世界中の人びとを魅了しています。
「大切なのは、国内外から年間200万人もの観光客が訪れる今も、人が住み続けていること。厳しい自然のなかで、人びとは『結』という助け合いの精神とともに、たくましく生きてきた。時代が変化しても自分たちの文化を守り続け、伝えていく心意気もまた、たくましさですよね」。
合掌造りの修理や保全に携わる、白川村教育委員会の松本継太さんは話します。
季節に沿った生活を受け継ぐ
荻町合掌集落のある大野郡白川村は霊峰白山の麓に位置し、日本有数の豪雪地帯。冬は約4~5ヶ月もの間、深い雪に覆われます。茅葺き屋根にこんもりと積もった雪が光に照らされ、一面に広がる銀世界はなんとも幻想的です。春の早乙女による田植え、秋のどぶろく祭りなど、四季に富んだ昔ながらの生活を今に伝えています。
なくてはならない「結」を守り継ぐ
現在、白川村には約1,600人が暮らします。村の暮らしに欠かせないのが「結」。住民同士で助け合う相互扶助の精神のことで、代表されるのが合掌屋根の葺き替え作業です。すべての茅を下し、片付け、新たな茅を1日で葺いていくのは大変な作業で、大きい合掌造りなら約200人が集まることもあるといいます。
「かつては茅も村民同士で持ち寄っていました。誰がどのくらい持ってきてくれたかを『結帳』に記録し、その人の家の葺き替えがあるときに、きちんとお返しをするんです」。
一つの屋根の葺き替えは20~30年に1度。毎年1棟は「結」による住民の手作業で葺き替えが行われています。
強いつながりが誇りや使命に
「私は就職を機にここへ来たんですが、祭りの準備なんかで、仲間に入れてもらえたことがうれしくて。大人も子どもも一緒になって、毎晩のように練習する。絆は深まりますよね」。
日々の暮らしのなかで、顔を合わせ、笑い合う。抗えない大自然のなかで培われた、小さな集落に生きる人びとの強いつながり。時代が変わっても村民一人ひとりが「変わらない」ことへの誇りと使命を胸に抱き、守り継がれてきた結晶が白川郷の「結」です。
合掌造りでの暮らしに想いを馳せて
特徴的な急勾配の屋根は、雪の重みに耐えることのほかに、もう一つ理由が。平地面積が少なく農作物で生計を立てることが難しかった人びとは、広い屋根裏で蚕を飼い、絹糸の生産を行ったのです。太陽の光と風が窓から入り、養蚕に適した構造になっています。「和田家」(国指定重要文化財)や「神田家」の屋根裏には、当時の道具などが残ります。
「やっぱり泊まるのがいちばん。夕方から早朝はお客さんも少ないので、しっとりとしたもとの白川郷の雰囲気が味わえますよ。民宿の女将さんとの会話や、村で採れた山菜料理も楽しめます」。
原風景を守るため。持続可能な観光地へ
合掌造りがこれだけ残ったのは、1971年に住民保存会が「売らない、貸さない、壊さない」の3原則を定め、守ってきたから。それから50年が経過し、この先も「持続可能」な観光地であり続けるための取り組みを進めています。
「最近では屋根に使う茅の自給率を上げるため、新しい茅場を造成しています。茅は古くなって屋根から下したあとも非常にいい肥料になる。集落の自然環境を保護することにもつながります」。
次世代へ向けた「結」の在り方
オーバーツーリズムを改善するため、世界遺産地区内の交通制限などの取り組みを始めています。また、地元の小・中学生たちは「村民学」と称して茅葺きの技術などを学び、「結」の心意気を次世代へとつなげています。
数十年後も変わらない光景を残すため、訪れる人も一緒に白川郷を守る。美しさの奥に、歩み続ける村の人びとの決意が宿っています。
合掌造りの家の中に足を踏み入れ、今も住む人からお話を聞いたり、囲炉裏を囲んで食事をしたり。厳しい自然とともにたくましく生き抜いた日本が誇る「結」を、探してみませんか。
旅のメモ
日本の原風景である農村文化・生活・暮らしを深く感じることができる、世界遺産「白川郷合掌造り集落」を訪れてみてはいかがでしょうか。