郡上本染、伝統が息づく“藍”を知る
指まで藍色に染まりながら、丁寧に何度も繰り返し染め、濃く深い藍色を出す渡辺一吉さん。郡上八幡の水の恵みに感謝しながら、伝統と真摯に向き合う姿が印象的でした。
<この記事は、(株)岐阜新聞社と岐阜県観光連盟との共同企画で制作しました。>
訪ねた人:渡辺一吉さん
郡上市重要無形文化財「郡上本染」の伝承者で、渡辺染物店の15代目店主。父の故庄吉さんは岐阜県重要無形文化財技術保持者。伝統技術を受け継ぎながら、現代に合った新商品の開発にも力を入れる。
城下町に400年以上残る「渡辺染物店」
郡上八幡城の繁栄とともに発展した城下町には、江戸時代、多くの職人や商人が暮らしていました。そんなかつての城下町で、今もなお日本古来の藍染手法「郡上本染」を守っている渡辺染物店があります。
「かつては全国どこでも城下町には紺屋(こうや)と呼ばれる正藍染の染物屋があり、祭りで着るはっぴや寺社の幕、戦の際の旗や陣地幕などを作っていました」。
木造再建最古の「天空の城」、郡上八幡城
長良川鉄道「郡上八幡駅」から市街地へ歩いて約25分のところに、江戸時代初期に整備された城下町の面影を見ることができます。国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定され、今も趣のある古い町並みを残しています。
町並みを歩くと小高い山の上にそびえる白壁の郡上八幡城が見えます。木造再建の城としては日本最古であるとされ、朝霧に包まれた姿は「天空の城」とも呼ばれ観光客にも人気です。
昔から変わらない技法で美しい藍色に
明治から昭和にかけて、化学染料が主流になり、模様付けも印刷技術が発達していく中で紺屋は衰退、昭和40年代には郡上市で渡辺染物店だけでした。
「昔ながらの紺屋技術を変えずに残ったのがうちだっただけ」。
郡上本染の図柄は、かまどで炊いたもち米から作った糊を、筒から少しずつ絞り出すように一点一点描きます。糊が乾燥した後、土間の地中に埋まっている藍草を発酵させた染め液の甕(かめ)に生地を何度も浸して濃紺まで染色。藍の発酵が染め色に影響するため、一吉さんは毎日、温度や湿度を調節しています。
吸い込まれるように深く濃い「ジャパンブルー」
何度も生地を甕に浸して空気に入れて晒し、最後に冷たい水に晒すことで「冴えた青」を生み出します。
「糊が落ちて、パシッときれいに染まっているとうれしいですね」と笑顔を見せた一吉さん。
吸い込まれそうなほどに濃く深い藍色が、年月とともに鮮やかな青色へと変化していく。その美しさは「ジャパンブルー」と呼ばれ、海外から高い評価を得ています。
郡上八幡、冬の風物詩「こいのぼりの寒ざらし」
「5月の端午の節句に向け、厳冬の季節から鯉のぼりづくりが始まります」と一吉さん。
染め上げた生地の糊を落とす作業は、郡上八幡の冷たい川の水を使います。山に囲まれ、今も川の水が美しく、また豊富にあるからできることです。
毎年「大寒の日」に、郡上本染の「鯉のぼりの寒ざらし」が行われます。真冬の冷たい川に赤や黄色などで彩色された鮮やかな色のこいのぼりが川面を彩り、冬の風物詩として地元の人や観光客で賑わいます。
今も昔も、使われ続けるものづくりを
「最近では、住宅の事情などで大きな鯉のぼりを掲げることができる家が少なくなってきたので、タペストリーや小型の鯉のぼりも作っています。時代に合わせ、求めてくれる人に合わせて、形を変えていく。作りながら今度はこうしようと考えるのは楽しいです」。
昔は嫁入り道具に、家紋と名前を入れて持参した「祝い風呂敷」がありました。藍染は防虫効果があり、長持ちするので嫁入り道具としても重宝されたのでしょう。色褪せても味わい深い風呂敷は、その人の歴史でもあります。
伝統技術はそのままに、時代に合わせた商品を
「親に言われたわけではないけれど」と、高校は美術部、大学では書道部に所属していた一吉さん。郡上本染の濃い藍色に、白くバランスが整った美しい図柄が描かれています。
変わらず受け継いできた郡上本染の伝統ですが、商品は時代ごとに変わっていきます。15代目の一吉さんの商品には、タブレットが入るかばんや、コースターなど現代の暮らしに寄り添ったものがあります。
川のように流れる時の中で、形は変えながらも伝統を守り継ぐ渡辺染物店。かつての城下町、郡上八幡を歩き、町中に脈々と巡る水路のせせらぎに耳を澄ませると、この町の文化と伝統が今も息づいていると、確かに感じます。