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伝統から現代へ、受け継がれる岐阜和傘の魅力

美濃和紙や良質な竹が手に入りやすい場所であったことから、岐阜市では江戸時代から和傘の生産が受け継がれていました。昭和20年代の最盛期には年間1千万本以上を生産。洋傘の流通や、後継者不足などによって衰退していきましたが、令和4年3月に国の伝統的工芸品に指定されるなど、再びその魅力に注目が集まっています。伝統を受け継ぎながら現代の生活に合う新しい和傘を生み出す和傘職人の河合幹子さんに話を聞きました。

<この記事は、(株)岐阜新聞社と岐阜県観光連盟との共同企画で制作しました。>

訪れた人:河合幹子さん
和傘ブランド「仐日和」代表。(一社)岐阜和傘協会監事。広告代理店や税理士事務所で勤務した後、27歳の時、叔父で老舗和傘問屋「坂井田永吉店」の店主からと誘われ、和傘職人の道へ。
伝統から現代へ、受け継がれる岐阜和傘の魅力

幼い頃の記憶に祖母の手仕事がある

河合さんが和傘職人になったきっかけは、老舗の和傘問屋「坂井田栄吉店」を営む叔父から「和傘を作ってみないか」と誘われたこと。「幼い頃、週末や夏休みになると工房に遊びに行き、和傘職人だった祖母の手仕事を見て育ちました。私にとって和傘は、当たり前に身近にある存在でした」。


最盛期の1950年頃は、600軒以上の問屋があり、月間120万〜130万本が生産されていた岐阜和傘ですが、後継者不足もあって現在稼働している問屋は3軒のみ。河合さんは「自分がやらないと岐阜和傘がなくなってしまう」という危機感があったと言います。

分業制だった和傘をほぼ一人で完成させる

和傘づくりの工程は、細かく分類すると100近くあると言われています。かつては分業制で10人以上の職人が携わり一本の和傘が作られていました。今は、その手仕事のほとんどを河合さんが一人で行います。

「最初の1年は試行錯誤の繰り返しでした。叔父に教えてもらったり、祖母が作業している記憶を辿ったり。それでも、もとが分業制だったので、どうやって作っているのかわからない部分もあって、その時はすでに引退されている専門の職人さんに聞きに行ったりしていました」と当時を振り返ります。

作り手によって匂いが違う雨傘

仐日和の手仕事は、骨組みを組み立て、和紙を張る工程から始まります。骨などの部品は専門の職人から仕入れています。和紙を張る前に、出来上がりの美しさをイメージし、骨組みの姿勢を微調整し正す、そして骨組みを平らにして、丁寧に慎重に和紙を張り合わせていきます。

「少し遊びをもたせるんです。傘を開いた時には、パシッときれいに和紙の風合いが出せるように、そして閉じた時にはすっきりとした美しさが保てるようにイメージしながら張っています」。


和紙を張ったら、骨組みに沿って畳み込みます。雨傘は油を塗って、天日干しにします。

「雨傘は工房や作る人にとって匂いが違うんです」。雨から保護するために塗る油には、荏胡麻油や油性漆塗料などが使われます。そのブレンドする比率が違うので、匂いに違いが出るのだそう。

力加減を調整して、完成される美しさ

傘の骨を内側から支える精巧な骨組みに補強と装飾を兼ねて糸を通す「糸かがり」も、一本一本丁寧に力加減を調整しながら通していきます。「一人でほとんど全ての工程を手作業で行うのは大変さもありますが、前後の工程も自分がやっているので、品質をコントロールして全体的にバランスを整えやすいというメリットもあります」。


岐阜和傘の魅力に、閉じた時の佇まいの美しさがあります。その美しさから和紙がうまく張れているか、塗装は綺麗に仕上がっているかなどの出来映えがわかるそうです。

「最盛期の頃の和傘は、今のものとは比べ物にならないくらい手の込んだものが作られていました。和紙で切り絵みたいに柄を作ったり、閉じた時に一つの絵になるように塗装が施されているものもあります」。

岐阜和傘を産業として確立したい

河合さんは岐阜和傘の伝統を引き継ぐだけではなく、地場産業として確立させたいという思いで前進してきました。2020年には問屋と職人が一丸となって主要部品を作る職人の育成に乗り出し、一般社団法人岐阜和傘協会を設立。岐阜和傘の認知度を高める動き尽力し、2022年3月、国の伝統的工芸品に指定されました。現在、和傘の骨をつなぐろくろの職人は一人、骨組みを作る職人も数えるほどですが、「国の宝」と認められことにより、岐阜和傘に携わりたいという人が増えることに期待が寄せられます。


「和傘が日用品として使われていた全盛期には、海辺にも和傘を持って行ったほど。産業として成り立っていた当時は、職人も多く、材料も豊富。問屋ごとに切磋琢磨して技術を高め合い、いろんなアイデアで個性が光る和傘を競って作っていました」。河合さんの祖母も和傘職人として活躍した一人。代表作の「月奴」は、祖母がよく作っていたデザインを現代向きにアレンジしたものです。

現代の生活にも溶け込むデザインの和傘

大胆な円弧型を和紙で描いた「月奴」は、夜を照らす月のように印象的なデザインです。さらに色合いが鮮やかで、カラフルな柄を組み合わせることで和装だけでなく、洋装にも合うポップさが引き立ちます。「現代の生活に合わせた、年齢や性別、服装を問わず使いやすい和傘」が河合さんの作る岐阜和傘の魅力。岐阜市湊町にある和傘専門店「和傘CASA」に、河合さんが作る和傘が販売されています。


「和傘CASAがある湊町は、昔、川湊として栄えた場所。物も人も集まり賑わっていました。和傘の材料である和紙も長良川を下ってこの場所にたどり着きました。そんな場所で岐阜和傘を知ってもらえるのは、文化的な背景や歴史、岐阜の自然も感じてもらえる素敵な場所だと思います」。

旅のメモ

長良川てしごと町家CASA

川原町の築100年以上の町家で、岐阜和傘をはじめとする長良川流域の”手しごと”を、見て、触れて、体験して、買える施設。一度、岐阜和傘を手に取ってみよう!

長良川てしごと町家CASA