「家康、命運の地 関ケ原」~岐阜県の家康ゆかりの地を巡ろう!~
2023年大河ドラマ「どうする家康」の主人公、徳川家康を総大将とする東軍と、石田三成率いる西軍が激突した関ケ原の戦い。
この天下分け目の戦いの舞台地をはじめ、岐阜県には家康にゆかりのある場所、伝統文化やイベントが盛り沢山!
家康ゆかりの地を巡り、その歴史に思いを馳せてみませんか。
この天下分け目の戦いの舞台地をはじめ、岐阜県には家康にゆかりのある場所、伝統文化やイベントが盛り沢山!
家康ゆかりの地を巡り、その歴史に思いを馳せてみませんか。
岐阜エリア
- 岐阜城
- 金華山(きんかざん)山頂に位置し、岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われる…
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- ぎふ長良川の鵜飼
- 戦国のロマンを感じさせる金華山と山頂にそびえる岐阜城を背景に、漆黒の闇の中、赤々と燃える篝火を川面に映し、鵜匠と鵜が一体となって…
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- 伊木山城
- 永禄八年(1565)、織田信長が尾張から美濃に攻め込む際、最初に侵攻した城です。信長は斎藤方の鵜沼城・猿啄城を攻めるため、まず伊木山…
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- 新加納陣屋
- 慶長五年(1600)八月、関ヶ原の戦いの前哨戦である岐阜城の戦いの前に、木曽川を渡って岐阜城の攻略を目指していた東軍の池田輝政と、新…
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- 織部展示館
- 美濃国山口・現在の本巣市山口に生まれた古田織部は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武人。茶の世界に興味を持つようになったのは…
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- 教念寺
- 関ヶ原の戦い(1600年)の際に、江戸から関ヶ原へ向かう徳川家康が立ち寄ったとされる場所で、境内には家康が腰掛けたという石が残されて…
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- 智勝院
- 家康の異父妹である智勝院(母は於大)の菩提寺。曹洞宗の寺院で、山号は大慈山。智勝院の孫である松平光重によって、正保3年(1647年)…
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- 大須観音(真福寺)
- 寛元の頃(1240年代)に観音堂を建立。北野神社より分霊を受け北野山真福寺という大寺に発展しましたが、戦国時代に入ると次第に衰退の一…
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- 加賀野井城跡
- 慶長5年(1600年)8月22日、木曽川下流の尾越に向かった福島正則・細川忠興・黒田長政・田中吉政・藤堂高虎らの東軍約16000は、対岸に西…
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- 竹ヶ鼻城跡
- 羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標は立っています。応仁年間に武腰伊豆守が竹ヶ鼻城を築城したと云われてい…
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- 明智光秀の墓(桔梗塚)
- 山県市には明智光秀の出生や晩年に関する伝承が残っています。生誕の地と伝わる中洞地区山県市中洞地区は、明智光秀が生まれた地とされて…
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- 十七条城跡(船木城跡)
- 十七条城は、南北朝時代の初め、船木頼胤が築いた城です。享禄年間(1530年頃)より林氏の居城となりました。 お福(のちの春日…
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- 鮎鮨街道・笠松問屋跡
- 長良川の鵜飼でとった鮎を使用した鮎鮨(あゆずし)を将軍徳川家康に献上する為に通った道。岐阜城の麓にある御鮨所を出発し、加納宿を経…
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- 米野の戦い跡
- 慶長5年(1600年)、池田輝政を中心とした東軍1万8千に対し、西軍3千のみの布陣。河田木曽川渡河の戦いの後、東軍は木曽川を渡り米野に上…
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西濃エリア
- 大垣城
- 全国的にも珍しい4層の天守を持ち、「城下町・大垣」のシンボルとして市民に親しまれている大垣城。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いでは、…
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- 曽根城跡
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に…
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- 美濃路
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の…
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- 今尾城跡
- 東軍 市橋長勝の居城。長勝は、福束城の戦いで奇計をめぐらし、東軍を勝利に導きました。今尾小学校のあたりが本丸跡で、校内に石碑と案…
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- 関ケ原古戦場
- 現在は田園の広がる中程にある「決戦地」。かつて関ケ原合戦の中でも特に激しく戦いが行われたこの場所には、石碑や、徳川家・石田家の家…
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- 桃配山・徳川家康最初陣跡
- 東軍の総大将・徳川家康は、慶長5(1600)年9月14日に岡山(後に「勝山」と呼ばれる。岐阜県大垣市)へ着陣し、翌15日の午前に桃配山(岐…
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- 徳川家康最後陣跡 ・ 床几場
- 徳川家康は合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、桃配山から笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しまし…
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- 岐阜関ケ原古戦場記念館
- 慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが繰り広げられた場所として有名な岐阜県関ケ原町。令和2年10月に関ケ原の戦いの全てが理解できる、最新技…
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- 福束城の戦い跡
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦…
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- 北塚
- 輪之内町東大藪の北部、大藪地内の田んぼの中に、一畝ほど小高く土を盛り上げた塚(現在は史跡として整備しています)。関ケ原の合戦の最…
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- 森部の合戦場跡と出世の松(利家とまつ)
- 永禄4(1561)年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出、斎藤龍興の軍と戦いました。斎藤軍6千…
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- 美濃路一里塚
- 慶長9年、徳川家康は日本橋を起点に主要道路の一里ごとに塚を築いた。後に脇街道にも築き、五間(約9m)を基準に、塚の上に榎や松を植え…
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- 光顕寺
- 教如上人が関ヶ原合戦、直前の慶長5年8月に徳川家康の陣中見舞いを行った。関東からの帰り道、墨俣の渡船場付近(長良川)で西軍の石田三…
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- 菩提山城跡
- 竹中半兵衛の居城が構えられた菩提山は、竹中氏陣屋の北西にあります。標高402mの山頂にあり、2.7kmのハイキングコースを登ります。山…
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- 白山神社 (旗懸けの松)
- 慶長5年(1600年)9月14日、岐阜から赤坂に向かった徳川家康公は、神戸の白山神社で休憩した折、松の大樹に旗を懸けたところから、その松…
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- 春日局出生地 (春日局公園)
- 春日局公園徳川家光 公の乳母として、大奥の基盤を整えたと知られている「春日局(= お福)」母の兄は、「明智光秀」公 ・・・ と…
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- 宇喜多秀家ゆかりの地
- 1600年(慶長5)関ヶ原合戦に敗れた宇喜多秀家は、白樫村(現在の揖斐川町白樫)の矢野五右衛門に助けられ、この地に匿居したとされてい…
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- 小西神社
- 1600(慶長5)年関ヶ原合戦に敗れた小西行長は春日中山へ逃げ、観音寺で匿われたが、捕らえられ、中山に騙されたと思いこんだ行長は…
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中濃エリア
- 瑞林寺
- 地元特産の蜂屋柿を室町幕府10代将軍足利義稙に献上して与えられた「柿寺」の称号で呼ばれる名刹。総高481cmの木造弥勒仏坐像(蜂屋大仏…
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- 国史跡 美濃金山城跡
- 市内屈指の展望を誇る可児市の古城山山頂に、道三の養子である斎藤正義によって1537年(天文6年)に烏峰城が築城されたと伝えられていま…
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- 美濃桃山陶の聖地
- 美濃桃山陶は、今から400年以上前の安土桃山時代に現在の岐阜県可児市をはじめとする東濃地方で、一斉に花を咲かせました。しかし長い間…
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- 関鍛冶伝承館
- 鎌倉時代から刀作りを主業とし、刀都関と言われる岐阜県関市。刀都関の観光複合施設「せきてらす」内にある関鍛冶伝承館は700年に及ぶ関…
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- 小瀬鵜飼
- 長良川河畔の小瀬の里で、5月11日から10月15日まで繰り広げられる小瀬鵜飼は、一千有余年の歴史を秘めます。見どころは素朴な情緒。ショ…
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- うだつの上がる町並み
- 国の伝統的建造物群保存地区に選定されたうだつの町並み。「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火…
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- 美濃和紙の里会館
- 美濃の里山で1300年前から漉かれ続けてきた美濃和紙の歴史や技術、和紙の素晴らしさや未来への可能性をさまざまな視点から紹介しています…
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- 小倉公園(小倉山城跡)
- 小倉公園は、小倉山一帯を都市公園として整備したところで、公園内には遊具や小動物園(アイガモ・猿・クジャク等)、芝生広場があり、市…
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- 郡上八幡城
- 戦国時代末期 永禄2年(1559年)、遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城のはじまり。現在の城郭一帯の石垣すべてが県の史跡に指…
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- 郡上おどり
- 「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」の歌詞で知られる郡上おどりは400年以上にわたって唄い踊り継がれてきたもの。郡上…
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- 郡上八幡の古い町並み
- 長良川の上流に位置し、「宗祇水」に代表される清冽な水と夏の郡上おどりで有名な郡上八幡。職人町、鍛冶屋町といった町名を歩けば、そこ…
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- 大寺山願興寺
- 昭和20年代に建築された駅舎が味わい深い名鉄御嵩駅。この駅を中心に東へと広がる「御嶽宿」は、もともと平安時代に開創された願興寺の門…
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- 御嶽宿本陣
- 宿場のやや西寄りに位置する「御嶽宿本陣」は、江戸時代の大名や公家などが宿泊・休憩する施設として利用されてきました。慶長7年(1602…
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東濃エリア
- 妻木城跡
- 妻木城は、14世紀に土岐頼貞の孫土岐明智彦九郎頼重が築いたとされています。その後、一族である妻木氏が領主となり、慶長5年(1600年)の…
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- 土岐高山城跡
- 鎌倉時代に高山伊賀守秀頼が築城したとされますが、詳細は不明です。戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の合戦の際には西軍…
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- 織部の里公園
- 400年前の桃山時代、日本最大のやきもの産地であった土岐市。土岐市にある元屋敷窯は美濃窯最古の連房式登窯で当時の姿をよく留めてお…
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- 重箱獅子
- 令和5年度は10月8日(日)に開催されます。重箱獅子は恵那市三郷町野井の武並神社の例大祭にて毎年10月に行われています。(近年はコロ…
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- 明知城跡
- 明知城は、恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭である。明知遠山氏代々の居城であった。明知遠山氏は、織豊期に一時この地を離れるが、…
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- 苗木遠山史料館
- 苗木城と苗木遠山家の貴重な資料を展示しています。苗木城の唯一の建物遺構である風吹門の柱と門扉が保管されているほか、遠山家に伝わる…
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- 苗木城跡
- 国指定史跡の山城、苗木城跡。その特徴的な石垣はマニアをも唸らせる。全国でも珍しいと言われる苗木城の石垣には、なんと自然の巨岩がそ…
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飛騨エリア
- 萩原諏訪城
- 諏訪城跡はJR高山本線飛騨萩原駅西方約300m、飛騨川の左岸に築かれた平城である。この地は古来諏訪神社の社地であったが、天正14年(1586…
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- 桜洞城
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いて…
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- 増島城跡(岐阜県指定史跡)
- 増島城は、金森長近が飛騨国支配における古川盆地の押さえとして築いた平城です。高山藩2代目藩主・金森可重が初代城主を務めました。 …
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- 小島城跡
- 小島城は姉小路三家の一角・小島氏の居城です。高原郷と小島郷を結ぶ神原峠の峠道が脇を通る交通の要衝に位置します。ここには算木積みと…
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- 高原郷土館(神岡城)
- 町並みを見渡せる高台にある高原郷土館は、神岡城・旧松葉家住宅・鉱山資料館の3施設からなります。かつて、金森氏の出城として使われた…
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- 高山陣屋
- 陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。飛騨代官は安永六…
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- 白川八幡神社 釈迦堂
- 白川八幡神社境内の釈迦堂は、江戸時代初期の寛永4(1627)年に当時の領主、山下氏勝が建立。 氏勝が家康から名古屋城築城の命を受け…
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