水都の地酒 魅力に舌鼓
「酒蔵はその土地の歴史や文化も牽引する存在だった」と語るのは、三輪酒造の8代目当主を務める三輪研二さん。三輪酒造は、かつて川湊があり、交通の要衝として賑わった大垣市船町で、江戸末期に創業した蔵元です。
<この記事は、(株)岐阜新聞社と岐阜県観光連盟との共同企画で制作しました。>
訪ねた人:三輪研二さん
株式会社三輪酒造 代表取締役社長。1837年(天保8年)に「澤田屋」の名前で創業。明治期から残る酒蔵は、2011年(平成23年)に国の登録有形文化財に認定されました。
「水の都」で発展した酒蔵
大垣市船町は、かつての川湊で、桑名や三河方面の船が発着する交通の要衝。人や物で活気にあふれていて、江戸時代の俳人、松尾芭蕉が『奥の細道』で結びの地に選んだ場所でもあります。
そんな船町に、江戸末期から酒を造っている酒蔵「三輪酒造」があります。店舗がある表通りは国道ですが、裏通りへ行くと民家が立ち並ぶ中にひときわ古い木造の建物が目にとまります。明治期に建てられた酒蔵で、国の登録有形文化財に認定されています。
水害から酒を守るための3階建て
「南蔵は酒蔵にはめずらしい3階建てなんです」と話す三輪研二さん。
「水の都」といわれる大垣市は、水害の多い地域でもありました。そのため地上から約1メートルの高さまで石垣を積み、さらに造った酒が被害に遭わないよう、3階に酒を貯蔵しました。
「水害が多かったということは、裏返すと水に困らなかったということ。掘れば出た大垣の水は、軟水でミネラルも豊富。醸し出す酒の旨味を邪魔せず、下支えしてくれます」。
ドイツのビールが、"SAKE"に向き合う原点に
婿養子として三輪酒造に入社する前は、繊維会社に勤務していた研二さん。ヨーロッパへ出張した時、ドイツ人が自国のビールに強い誇りを持って話していることに感銘を受けました。
「『日本のSAKEはどう?』って必ず聞かれて、それがきっかけで日本酒を意識するようになりました。三輪酒造に入ったのは、本当に縁があってのことですけどね」。
水の恩恵を受けて生まれる、酒蔵ごとの味わい
岐阜県は江戸時代に創業した酒蔵が今も多く残っています。
山国で水が豊富な岐阜県。北部には標高3,000メートルを超える飛騨山脈が連なり、南部には木曽三川が流れる濃尾平野が広がります。地下には脈々と豊富な伏流水が流れていて、酒蔵のほとんどが井戸を掘り、地下から豊富な水を得ています。
「岐阜県の酒ってひとくくりにはできないんです。それぞれの酒蔵が、その地域に流れる水の恩恵を受けて酒造りをしているから」。
日本酒の成分の8割を占める水は、その地域にある山や川、地層を流れながらその土地ならではの水を生み出し、酒蔵ごとの味につなげています。
岐阜には個性豊かな”スペシャリスト”が集う
「岐阜県には、酒蔵ごとに味が違い、その道のスペシャリストがいるんです。辛口なら多治見市の『三千盛』、古酒なら岐阜市にある白木恒助商店の『達磨正宗』。国内外のさまざまなコンクールに出品して多くの賞を獲得する飛騨古川の渡辺酒造店。また、岩村城下町の町並みにある岩村醸造や、揖斐郡大野町にある日本一小さな酒蔵の杉原酒造、いつも搾りたての生酒がある岐阜市の日本泉酒造など、個性的な酒蔵があります」。
岐阜県酒造連合組合には40以上の酒蔵が所属しています。その中には、歴史ある日本酒の審査会「全国新酒鑑評会」や、世界的な酒の品評会でも最高位を受賞するなど、味わいに定評のある酒蔵も複数あります。
銘酒「白川郷」と大垣ゆかりの「バロン鉄心」
三輪酒造の主力商品は、大垣にありながら造る銘酒、にごり酒「白川郷」。昭和40年代、白川村の関係者の方から、どぶろく祭りを訪れる人びとがお土産に買って帰ることのできる酒を造ってほしい、と6代目当主に相談があったことがきっかけで造ったそうです。
他にも、三輪酒造は幕末に大垣藩で活躍した小原鉄心とゆかりがあり、江戸時代には鉄心が名付けた酒も造っていました。現在は、鉄心が明治政府から男爵の称号を受けたことにちなみ「バロン鉄心」という銘柄で、岐阜県産の米と酵母を使って造っています。
酒蔵と地酒は、その土地の歴史を物語る
1837年創業の三輪酒造。その長い歴史の中で、時代ごとの出会いによって酒が造られてきました。
「地酒とは、その土地に根付いた酒。米や水などの原料だけではなく、その土地に深く関わり、けん引してきた存在感も大きい。だから地酒の銘柄にはその土地の地名や盟主の名前が使われているんです」。
県内のどこを観光するにしても、是非、その土地にある酒蔵に立ち寄ってみたい。地酒にまつわる背景に、地域の歴史や文化を垣間見ることができます。
旅のメモ
地元グルメと一緒に地酒を堪能
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