“気分は旅人” 中山道・大井宿で歴史探訪

江戸時代を生きた人びとの足跡が残る道、中山道。江戸と京都を結ぶ主要な道の一つです。岐阜県内を通る中山道には17の宿場町があり、それぞれに当時の面影を残しています。中でも髄一のにぎわいを見せた宿場町「大井宿」で、400年にわたって旅人を迎える「旅館いち川」の16代目女将、市川祥子さんを訪ねました。

<この記事は、(株)岐阜新聞社と岐阜県観光連盟との共同企画で制作しました。>

訪ねた人:市川祥子(さちこ)さん
「旅館いち川」の長女として生まれ、26歳で若女将に。マクロビオティックを料理に取り入れるなど、新しい風を吹かせながら、400年続く老舗旅館を守っている。町おこしイベントや、妻籠から大井まで5宿の女性たちで結成した「姫宿の会」などの活動を通して、中山道の魅力を広く発信している。
“気分は旅人” 中山道・大井宿で歴史探訪

美濃随一のにぎわいを見せた大井宿

JR恵那駅を降り、阿木川にかかる大井橋を渡った先に、かつての宿場町「大井宿」があります。江戸から京都まで約532キロ、69の宿場町が置かれた中山道。大井宿は江戸から数えて46番目の宿場町で、江戸方面には甚平坂の向こうに中津川宿、京都方面にはみだれ坂や十三峠を越えた先に大湫(おおくて)宿と続きます。名古屋城下まで続く下街道との分岐点でもある大井宿は、数多くの旅人が体を休めました。


旅人を迎えて400年。唯一残る宿

「江戸時代は今と全く違って、徒歩が基本の過酷な旅。険しい峠を越え、宿場町が見えたとき、『ほっ』とした気持ちになったのではないでしょうか」。

当時の旅人にそう思いを馳せるのは、「旅館いち川」の16代目女将、市川祥子さん。1624年に旅籠(はたご・江戸時代の旅館)として創業し、当時は「角屋」と呼ばれていました。大井宿には岐阜17宿で最も多い41軒の旅籠がありましたが、明治期になり鉄道の開通などで交通事情が変化。徐々に人びとの往来が減っていく中、旅館いち川は料理に力を入れるなどして、41軒で唯一、ここまで旅館業を営んできました。

かつて栄えた宿場町に受け継がれる誇りと心は、今も健在。14代、15代、そして16代の祥子さんと3代の女将そろってのおもてなしは、旅館いち川の名物です。

皇女和宮が喉を潤した良水が湧き出る

山の多い中山道は、峠越えなどの険しさがある一方で川が少なく、生い茂る木の葉が雨から守ってくれるという利点がありました。そのため着物や小道具を運ぶ旅芸人が行き交い、周辺地域に地歌舞伎が根付いたとされています。また、京都から江戸へ嫁入りする姫君が多く通ったことから別名「姫街道」とも呼ばれます。

有名なのが、幕末の混乱期に皇室から14代将軍に嫁いだ和宮。道沿いには和宮の大行列が通った痕跡がいくつも残っています。大井宿の本陣で昼食をとった和宮が気に入って、次に宿泊する中津川宿までその水を運ばせたという井戸「和宮泉」は、今もその良水が湧き出ています。

謎に包まれる日本最多の「桝形」がお出迎え

大井宿には、敵の侵入を防ぐため道を直角に曲げた「桝形(ますがた)」が多く残ります。本来は城や城下町に築かれることが多い桝形ですが、宿場町に6カ所も現存しているのは全国でもここだけです。

なぜこれほどつくられたのかは、大井に城を建ててこの辺りを城下町にする計画があったという説や、狭い土地にできる限り多くの旅籠を建てるため、といった説がありますが、はっきりとはわかっていません。

地図を見ると、宿場町全体がなんだか北斗七星のようにも見えてきて、謎が深まります。

新風と伝統が織り成す 旅館いち川の料理

「恵那には、こだわりを持って良い野菜を育てている方がたくさんいるんです。それを料理とつなげたくて」と祥子さん。数多くの生産者のもとへ会いに行き、新たなメニューを生み出してきました。自身の妊娠を機に始めた、日本古来の健康食「マクロビオティック」もその一つです。

「老舗旅館らしく生粋の日本料理を出しつつ、新しいことにも挑戦する。おもてなしをする私たちも、楽しみたくって」と笑顔があふれます。

冬限定で販売する特製の福神漬けは、町内で昔から伝わる味。東濃地域の伝統野菜「菊ごぼう」など地元で採れた旬のものを使い、季節のめぐりに逆らわず、丁寧に作ります。懐かしさを感じながらも、心から「おいしい」とつぶやいてしまう深い味わいが、地元から遠方まで多くの人びとに愛されています。

広重の浮世絵から往時を偲ぶ

19世紀後半の西洋美術界に多大な影響を与えた浮世絵師・歌川広重が描いた「木曽海道六拾九次之内」(木曽街道は中山道の別名)を所蔵する「中山道広重美術館」は、JR恵那駅から南へ徒歩約5分。本作は毎年秋頃に展示され、画中に描かれた人びとのいきいきとした姿や、街道から見える景色などは、活気あふれるかつての中山道へ私たちをいざなってくれます。浮世絵の重ね摺りを体験できるコーナーは老若男女に人気です。

また、甚平坂の東側には恵那山、北側には御嶽山が位置し、「木曽海道六拾九次之内」の大井宿は、この辺りの風景を描いたものとされています。


地元ガイドと歩く宿場町の風景

「宿にいらしたお客さまには、目的や要望に合わせて近辺の見所をご案内しています。大井宿散策が目当てでなくても『ちょっと歩いてみようかな』と出かける方も多いです」。

明治天皇が1880年にお泊まりになった部屋や風呂場、トイレなどが残されている「明治天皇行在所」には、地元ボランティアガイドが駐在しており、大井宿の町並みを案内してくれます。宿場町の全長は約710メートルほどなので、歩いてゆったりと回るにはぴったり。

行在所には取り壊された岩村城の門ではないかとされる「長屋門」などもあり、見ごたえたっぷりです。

江戸時代から変わらない、おもてなしの町

  • 恵那市観光協会提供

自然豊かで、ゆったりとした時間が流れる中山道。足をのばして、次の宿場町までの道のりをたどれば、より当時の旅路を追体験できます。地元の和菓子を手に、出かけてみるのもいいかもしれません。

「宿場町の名残なのか、町の人たちにはおもてなしの思いがあふれています。ぜひこの風情を味わってほしいなと思います。私もお客さまとの会話が楽しみなんですよ」。

旅人を迎える人と町。江戸時代から変わらない心と景色が、中山道を通して、まっすぐ現代につながっています。

旅のメモ

美濃路随一の宿場として栄えた「大井宿」

江戸時代を生きた人びとの足跡が残る中山道 大井宿の当時のにぎわいを、ぜひ訪れて体感してください。

美濃路随一の宿場として栄えた「大井宿」