明智光秀の墓(桔梗塚)
光秀の謎がこの地に眠る
山県市には明智光秀の出生や晩年に関する伝承が残っています。
生誕の地と伝わる中洞地区
山県市中洞地区は、明智光秀が生まれた地とされています。
この地区の伝承によると、光秀は土岐四郎基頼と、中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、その後、明智城主明智光綱の養子となったと伝えられています。
誕生にまつわるものとして、中洞白山神社境内には、光秀の母が産湯の水を汲んだという井戸が残されています。また、地区内を流れる武儀川には、光秀を身ごもった際に母が「生まれてくる子が男の子であれば、たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったという行徳岩があります。
光秀はこの地で生きていた!?
中洞地区の伝承では、本能寺の変(家康が「伊賀越え」を行う要因となった事件)のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、中洞に落ち延びて住んでいたと伝えられています。
光秀は郷里の中洞に落ち延びた後、山崎の合戦で討ち死にした影武者・荒木行信の忠誠に深く感銘して「荒」と「深」をとって、自ら荒深小五郎と名乗り、この地で暮らしていました。その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされています。
中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回(4月第2日曜日、12月第1日曜日)供養祭が行われています。
基本情報
- 住所
- 〒501-2258 岐阜県山県市中洞1020番地 中洞白山神社
- 電話番号
- 0581-22-6831
- 問い合わせ先
- 山県市まちづくり・企業支援課
- 営業時間
- いつでも見学可能
- 休業日
- いつでも見学可能
- 料金
- 無料
- アクセス
- 岐阜バス板取線樫瀬バス停下車徒歩約16分
関広見ICから車で約16分 - コロナウィルス感染症に関する情報
- 《新型コロナウィルス感染症拡大防止のために》
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