竹ヶ鼻城跡
今だ特定されていない竹ヶ鼻城
羽島市歴史民俗資料館(竹鼻別院前)の敷地内に竹ヶ鼻城跡の石標は立っています。
応仁年間に武腰伊豆守が竹ヶ鼻城を築城したと云われています。
その後、不破源六広綱が城主時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による「水攻め」があったことで知られてます。
竹ヶ鼻城跡の位置は、この地の辺りを本丸の跡地とする諸説がありますが未だ確証は得られていません。
・・・ 関ケ原の合戦前夜 ・・・の福島正則は、慶長5年(1600年)8月22日に加賀野井城をおとし竹ヶ鼻城へ向かいます。
尾越(現在の愛知県一宮市)対岸の大浦(羽島市)に布陣していた竹ヶ鼻城主・杉浦重勝は慌てて竹ヶ鼻城へ戻り、本丸で30余名になるまで防戦しましたが、福島正則によって攻囲され竹ヶ鼻城は落城し火を放って自刃しました。
基本情報
- 住所
- 〒501-6241 岐阜県羽島市竹鼻町上城2624-1 羽島市歴史民俗資料館・敷地内
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