大塚権太夫の塚
関ケ原の戦い前哨戦「米野の戦い」で活躍するが討死
この塚には、米野の戦いで討死した東軍の武将「一柳直盛」老臣「大塚権太夫」が葬られていると伝わっています。
この戦いは、木曽川を渡河する東軍「池田輝政」ら兵約18000と米野付近に布陣した西軍の岐阜城主「織田秀信」の兵約3200によって関ケ原の合戦の前哨戦として激戦が繰り広げられた。
東軍「大塚権太夫」は、先陣を切って木曽川を渡り、西軍「織田信秀」の家臣「武市善兵衛」・「武市忠左衛門」兄弟を打ち取るが、首を携えて堤を登る際、西軍 織田秀信方の若武者「飯沼長資(ながすけ)」に遭遇し、一騎打ちの末に討たれた。
しかし、「飯沼長資」もその後、東軍 池田輝政の弟「池田長吉」に打ち取られたと言う。
基本情報
- 住所
- 岐阜県羽島郡笠松町無動寺54
- アクセス
- 【公共交通機関】・JR岐阜駅から岐阜乗合自動車利用約35分 若宮地前無動寺バス停下車、徒歩約3分(0.3km)【車】・東海北陸道 岐阜各務原ICから約6分(3.3km)
- 備考
- 駐車場はありません。