岐阜の
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- 歴史を知る
- 郡上八幡博覧館
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- 岐阜・中濃
- 大正9年に建てられた旧税務署をそのまま利用した、現代とレトロが融合したミュージアム。郡上八幡の魅力を歴史・水・技・郡上おどりのコーナーに分けて、分かりやすく展示・紹介しています。 郡上おどりの実演紹介も行っていますので、郡上おどりを知りたい人は…
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- 中津川市鉱物博物館
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- 東濃
- 岐阜県中津川市苗木・蛭川を中心とする一帯は、水晶・トパーズをはじめさまざまな鉱物を産し、鉱物の一大産地「苗木地方」としてよく知られてきました。中津川市鉱物博物館は、苗木地方の産出鉱物など多くの鉱物標本を展示し、鉱物や地域の地質について学べる、国内で…
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- 大正ロマン館
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- 東濃
- 10室の展示室には、大正時代のヨーロッパの家具やオルゴール、洋画の父といわれるこの地出身の山本芳翠の油絵絵画 「裸婦」(国重要文化財指定 )も展示され時代にちなんだ企画展が催されています。常設展示 初代村長 高峰三枝子展初代議長 元横綱栃錦相撲展大正時…
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- 小簾紅園
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- 岐阜・中濃
- 公武合体のため仁孝天皇の第8皇女和宮(かずのみや)が、徳川第14代将軍徳川家茂に嫁ぐため中山道を御降嫁された際、呂久川(現在の揖斐川)を御座船でお渡りになる時、色麗しく紅葉している楓を一枝舷に立てさせられ、玉簾の中からご覧になり、『 おちていく 身と…
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- 竹中氏陣屋跡 (岩手城跡)
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- 西濃
- 戦国時代の智略が飛び交うなかで、豊臣秀吉の名軍師『竹中半兵衛』とその一族の活躍には目を見張るものがありました。半兵衛の息子重門(しげかど)が、築造した陣屋跡には白壁の櫓門、がっしりとした石垣が残っており、旗本では珍しい城郭建造物です。関ケ原の合戦で…
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- 関ケ原笹尾山交流館
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- 西濃
- 関ケ原古戦場でも一番の観光ポイント、西軍・石田三成陣跡のある笹尾山一帯での交流を促進するための拠点施設・関ケ原笹尾山交流館(せきがはら・ささおやまこうりゅうかん)は、「甲冑体験(有料)」をはじめ、観光パンフレットの配布や観光情報のご提供する関ケ原の…
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- 明知城跡
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- 東濃
- 明知城は、恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭である。明知遠山氏代々の居城であった。明知遠山氏は、織豊期に一時この地を離れるが、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦後に復帰する。江戸時代には旗本となり、存続した。城跡は現在公園となり、散策道も付けられ…
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- 大垣市奥の細道むすびの地記念館
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- 西濃
- 俳聖・松尾芭蕉が「奥の細道」紀行を終えたむすびの地「大垣」で芭蕉がたどった「奥の細道」を追体験できる「奥の細道むすびの地記念館」。「奥の細道」の解説をはじめ、松尾芭蕉の人となりや旅に生きた人生を紹介する「芭蕉館」には、企画展示室とともに「AVシアター…
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- 日龍峯寺 高澤観音
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- 岐阜・中濃
- 岐阜県下最古の寺で、本堂前方が舞台造りで京都の清水寺に似ていることから、美濃清水とも呼ばれています。境内には鎌倉時代、時の尼将軍・北条政子によって建立されたという多宝塔が残されており、国の重要文化財にも指定されています。この寺は海抜283m高沢山の山…
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- 信長公居館跡
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- 岐阜・中濃
- 岐阜城の歴代城主の館は、金華山の西麓にある千畳敷下・槻谷(けやきだに)にあります。斎藤道三に始まる斎藤氏三代の頃に造られ、織田信長が大規模に造成・改修をしました。信長時代の館は発掘調査から、巨石を立て並べた入口や金箔瓦を使用した建物、巨大な岩盤を背…
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- トヨタ白川郷自然學校
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- 飛騨
- かつての秘境「白川郷」で自然体験を提供しています。アウトドアだけでなく、地域の食材を使ったフランス料理レストランやゆったり寛げるお部屋、温泉でのくつろぎのひと時を提供しております。
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- 千光寺
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- 飛騨
- 縄文弥生の古え薫る仁徳天皇の御代、今から1600年前に飛騨の豪族 両面宿儺(りょうめんすくな)が開山し、約1200年前に真如親王が建立された古刹。「円空仏の寺」としても知られ、大慈門の近くに「円空仏寺宝館」があり、館内には六十三体の円空仏と寺宝の一部が展示…
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- 天龍寺
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- 岐阜・中濃
- 明智光秀ゆかりの地といえば、明智城跡の麓にある天龍寺は外せません!御朱印の販売も行っております。天龍寺には、日本一大きな明智光秀の位牌が祀られており、大きさは6尺1寸3分で約184cmであり、こちらは明智光秀の命日の6月13日にちなんで作られたそうで…
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- 円徳寺
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- 岐阜・中濃
- 円徳寺は、上加納村長旗(現在の岐阜市長旗付近)にあった浄泉坊が前身といわれています。天文16年(1547年)、織田信秀公(信長の父)が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三公に大敗し約5000人の戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が浄泉坊に築…
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- 気多若宮神社
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- 飛騨
- 古川町の市街地を見下ろす気多若宮神社は、その市街地一帯を氏子にもつ神社で特別金弊社として広く一般の崇敬を集めている。ユネスコ無形文化遺産に登録された古川祭(毎年4月19・20日)はこの神社の例祭として行なわれている祭である。参道の石段をのぼりきると…
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- 関ケ原古戦場 決戦地
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- 西濃
- 「小早川秀秋」の寝返りにより西軍が総崩れした頃、石田隊や島津隊に攻め込む東軍諸隊で、この地は埋め尽くされたといわれています。東軍の猛攻に石田隊が壊滅し、天下分け目の戦い・関ケ原の合戦の勝敗は、わずか半日程度で決しました。島津の退き口(のきぐち)は、…
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- 承久の乱古戦場跡 大井戸渡
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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月5日、鎌倉幕府軍 武田信光・小笠原長清らが大井戸(可児市土田)を渡り戦いが始まりました。夕刻、渡河攻撃を仕掛け、朝廷側 大内惟信ら2000余騎は奮闘しましたが大井戸から敗走し幕府側が勝利を収めました。翌6月6日には、まめど(現、各務原市…
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- 洞戸円空記念館
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- 岐阜・中濃
- 古くから神々の里として栄えてきた洞戸。全国から山伏や信者が参拝に訪れた高賀神社は円空ゆかりの地としても有名です。高賀渓谷のせせらぎに誘われるかのように村を訪れた円空さん。この地で入定の決意を固め、最後の作品といわれる歓喜天を彫ったといわれてい…
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- 承久の乱合戦供養塔 (佛願院・前渡不動尊)
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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月6日、朝廷側と鎌倉幕府側は、まめどで戦いました。前渡・まめど(各務原市前渡・承久記では「大豆戸」・吾妻鏡では「摩免戸」と表記)が、選ばれた理由が、木曽川中でも特に浅く水量の多い夏場でも渡りやすい場所であったからだ言われています。…
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- 春日局出生地 (春日局公園)
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- 西濃
- 春日局公園徳川家光 公の乳母として、大奥の基盤を整えたと知られている「春日局(= お福)」母の兄は、「明智光秀」公 ・・・ とも言われています。父の「斎藤利三」公は、「明智光秀」公の重臣として本能寺の変、山崎の合戦で行動を共にした白樫城主(揖斐川…
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