大谷吉継顕彰碑
武士道の模範を称える!
富国強兵を掲げた明治期から戦時色を強めた昭和初期にかけて、関ケ原の合戦は、戦術・戦略研究の対象となり、古戦場では実際に演習も行われました。
昭和15年(1940年)に不破古跡保存会によって顕彰碑は設置され、顕彰碑は大谷吉継の最後を武士道の模範として称える内容となっています。
要旨は次の通りです。
「 大谷吉継は石田三成の挙兵をいさめたが聞き入れられなかったため、意を決して西軍に与し奮戦したものの衆寡敵せず自害した。これは、主君である豊臣秀吉の恩に報い、共に秀吉に仕えた三成との義に殉じたものでまさに武士道の模範である。 」
<岐阜関ケ原古戦場記念館 関ケ原メモリア
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町山中30-1
- アクセス
- 大谷吉継 墓・湯淺五助 墓 近く
- ウェブサイト