北天満山・小西行長陣跡
北天満山から関ケ原の合戦開始の狼煙をあげる!
小西行長は約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。
西軍諸隊が総崩れした後は揖斐川町方面へ敗走しましたが、その後自首し、京都で石田三成らとともに処刑されました。
~最後まで、キリシタンであった男~
キリスト教信者として知られている小西行長。豊臣秀吉配下の武将で、洗礼名はアウグスティヌスといいました。一度は敗走するも、その後自首し関ケ原領主であった竹中重門の家来により家康のもとへ送られ、三成らと共に斬首されました。その際、浄土門の僧に経文を置かれることを拒否し、代わりにキリストとマリアのイコンを頭上に掲げたそうです。斬首された首は晒されましたが、改葬はキリシタンの手によりカトリック方式でとり行われたとされています。
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原2368-1
- アクセス
- 国道21号線松尾交差点より北へ車で2分
- ウェブサイト