松平忠吉・井伊直政陣跡
戦いの火ぶたを切ったのは井伊隊!
関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉(徳川家康の四男)に手柄を立てさせたい一心でした。
東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲し開戦となりました。
その後、直政と忠吉は、島津義弘・豊久らを追撃し、大きな戦果を挙げますが、2人とも傷を負ってしまいます。
特に、直政の傷は深く、その傷がもとで2年後にこの世を去ってしまいます。
~最強の赤揃えを継承した先鋭部隊~
鎧・兜・槍などの武具の全てが赤一色に染められていた直政率いる井伊隊は、「井伊の赤揃え」と呼ばれています。
井伊隊は、「武田の赤揃え」=「最強部隊」として定着していた武田家の滅亡後、その遺臣を徳川家康から託されると同時に、天下に知られた「赤揃え」を継承しました。
この赤い集団が戦場に現れると、敵陣は恐怖し、浮き足立ったといわれています。
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町908-3
- アクセス
- JR関ケ原駅より北に徒歩3分
- ウェブサイト