島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地>
島津義弘、得意の鉄砲で次々と狙撃!
神明神社裏側に「島津義弘陣跡」はあり、西軍布陣地のほぼ中央部に位置しています。
島津隊はわずか800名程度ともいわれる少数部隊で、鉄砲を巧妙に使って戦い、陣中では壕も掘らず、柵も作らず、鉄砲隊は交互に入れ替わり狙撃し、騎馬隊を打ち落としていたといわれています。
その後西軍諸隊が敗走する中、「背を向けては逃げぬ」という名家島津の誇りを感じられる「捨て奸(すてがまり) 」という戦法は現代までも語り継がれています。
~人情味溢れる九州の雄~
島津家を躍進させた義弘は、人情味溢れる性格だったといわれています。主従分け隔てなく下級の兵士と囲炉裏を囲み、自らの家族だけでなく、家臣に子どもが産まれると、自らの館に招き入れ祝福したといわれています。敵方にも情け深く、朝鮮出兵の際に討ち取った相手を供養したそうです。周囲の反対を押し切り、関ケ原合戦に西軍として参加したのも、三成に対する恩義によるものです。義弘の人情深い性格が、数々の窮地に陥った島津家を救ったに違いありません。
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町1869-3
- アクセス
- JR関ケ原駅より北西に徒歩15分
神明神社付近 - ウェブサイト