徳川家康最後陣跡 ・ 床几場
徳川家康「厭離穢土欣求浄土」の考え方
徳川家康は合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、桃配山から笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。
一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇したとも言われています(問鉄砲)。
関ケ原合戦後には、床几場で首実検が行われました。
その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。
土壇中央には「床几場(しょうぎば)徳川家康進旗験馘處」と刻まれた標柱が建っています。
「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」
※意味) 戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦い、国土が穢れている。
その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土を願い求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す。
国指定・史跡名勝天然記念物
文部省告示第115号
指定年月日:昭和6年3月30日
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原959-2
- アクセス
- JR関ケ原駅より北に徒歩10分
- ウェブサイト