笹尾山・石田三成陣跡
石田三成、笹尾山から何を思う…
西軍の指揮を執った石田三成は、関ケ原合戦時前日に関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる笹尾山に布陣しました。
笹尾山には敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来や馬防柵が復元されされ、合戦当時、“三成に過ぎたるもの”といわれた、島左近を竹矢来の前に配置ししました。麓に陣を置いた島左近らの隊が善戦しますが、次第に押し込まれ、小早川秀秋の東軍への寝返りを機に西軍は次々に敗走し、三成も伊吹山方面へ逃れました。
笹尾山頂上から古戦場全域を見渡せば、当時にタイムスリップし、豊臣秀吉への義を貫き通した三成に心惹かれずにはいられません。
石田三成、柿、断る
関ケ原合戦に敗れた石田三成が、再起を期して戦場を離脱しましたが、戦運尽きて伊吹山で捕らえられ刑死されます。刑執行前、三成は喉の渇きから護送役の役人に湯を望みましたが却下され、代わりに干し柿を差し出されますが、「(柿は)胆の毒だ」と断ると「これから他界するものが」と嘲笑されます。すると、「大志を遂げようとする者は、絶命するまで自分の命を大切にしなければならない。その気持ちはわかるまい」と三成は言いました。命ある限り忠義を全うしよう、という三成らしい逸話です。
国指定・史跡名勝天然記念物
文部省告示第115号
指定年月日:昭和6年3月30日
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原4008
- アクセス
- JR関ヶ原駅から北へ徒歩25分
- ウェブサイト