脇坂安治陣跡
小早川隊に続き東軍へ寝返る
関ケ原の南方、現在の名神高速道路と黒血川との間、松尾山のふもとに「脇坂安治陣跡」はあります。
脇坂安治は朽木元綱・小川祐忠・赤座直保とともに西軍として布陣しましたが、小早川秀秋隊が寝返ると4隊とも大谷隊へ攻撃をしかけ、最終的には東軍を勝利に導きました。
寝返ったことで卑怯者の武将だと思われがちですが、家康が天下を平定するという優れた先見力があってこその判断だったのではないでしょうか。
家名を守った七本槍の豪将
脇坂安治は、豊臣秀吉と柴田勝家が激しく戦った、賤ヶ岳の戦い(1583年)の豊臣軍として手柄を立てた「賤ヶ岳の七本槍」の一人でした。
他に「賤ヶ岳の七本槍」には豪将と呼ばれる福島正則、加藤清正などが顔を揃えています。
その後、徳川政権になってから「賤ヶ岳の七本槍」の大半が御家潰しなど苦難に遭った中、脇坂家は幕末まで繁栄することができたので、安治はあらゆる面で優れた武将だったと考えられます。
基本情報
- 住所
- 〒503-1542 岐阜県不破郡関ケ原町藤下476-1
- アクセス
- 松尾山麓より徒歩15分、名神高速道路脇
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