山内一豊陣跡
南宮山の敵に備える
旧中山道沿いにある「山内一豊陣跡」は、大きな松と山内家の三つ葉柏の軍旗が目印です。
慶長5年(1600年)に徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の軍に参加した一豊は、関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に入ると、一豊らは一里塚より桃配山までの間の中山道左右に陣を置き、南宮山の敵に備えました。
その後、南宮山の隊に東軍攻撃の形勢がないため、家康の命令を受け、山内隊は有馬・蜂須賀の隊と共に前進して戦いました。
一豊は関ケ原の戦いで大きな武功はなかったのですが、合戦前の城を明け渡しにより、家康の信頼を得ていたために土佐の国主となっています。
縁の下の力持ち、一豊の妻・千代
山内一豊の妻・千代は、「内助の功」で知られる人物です。
一豊が織田家の一家臣でしかなかった頃、馬を一堂に集めて検分する「馬揃え」がありました。
しかし一豊は名馬を買うほどのお金がなく、それをみかねた千代は「夫に何かあったら使うように」と父から嫁入りの時に渡されていた10両を一豊に渡しました。
その10両で一豊は名馬を買い求め、武将としての面目を保ち出世したといわれています。
基本情報
- 住所
- 岐阜県不破郡関ケ原町野上1390
- アクセス
- 国道21号線一ツ軒交差点より東へ400m
中山道松並木付近 - ウェブサイト