兜塚
杭瀬川合戦で討たれた「野一色頼母(のいっしきたのも)」を葬った兜塚
野一色助義(通称:野一色頼母(のいっしきたのも))は、近江国の出身で豊臣三中老の一人「中村一氏」公の家老として8千石で仕えた人物です。
関ケ原の合戦の時、「中村一氏」は、東軍に属しますが、関ケ原の合戦直前の7月に亡くなったため弟「中村一栄」と共に出陣しました。
「野一色頼母」は、豪傑として知られた人物でしたが、勇猛さがアダとなったのが杭瀬川の合戦でした。
目前でイキナリ稲刈りを始めた島左近隊に激怒した中村隊は、島隊を攻撃します。
しばらくして退却し始めた島隊を追撃し橋を渡ったところで伏兵に遭い深田にハマって討ち取られてしまいます。
「野一色頼母」は、関ヶ原本戦に参加すること無く戦場の露ときえてしまいました。
そんな「野一色頼母」の亡骸を埋葬したのが、岐阜県大垣市赤坂西町にある兜塚です。
基本情報
- 住所
- 〒503-2213 岐阜県大垣市赤坂町 3889番地付近
- アクセス
- JR美濃赤坂駅から徒歩約10分。
- ウェブサイト
https://www.ogakikanko.jp/kanko/search/app/sdata.php?dataid=381#slide2