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- 戦国・城郭
- 大桑城へ はじかみコース(はじかみ林道登山口)
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- 岐阜・中濃
- はじかみ林道の峠にある登山口より古城山を登るコースの入口です。ルートの大半は緩やかで、距離も長くならないことから、古城山山頂からの雄大な眺めを楽しみたい方にお勧めです。山頂までの距離:約750m山頂までの時間:約20分~30分は必要登山口には、お手洗いはあ…
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- 徳川家康最後陣跡 ・ 床几場
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- 西濃
- 「徳川家康」は、合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇した(問鉄砲)と言われています。合戦後は、ここ(床几場)で首実検が行…
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- 山口城跡
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- 岐阜・中濃
- 標高345mの権現山の山頂に平場が築かれています。これが山口城跡です。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』によると鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったと記されています。ここは谷汲街道と越前街道が交差し、根尾川が濃尾平野に注ぎ込む交通、軍事、治水の要所とな…
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- NHK大河ドラマ「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原/「家康、命運…
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- 西濃
- 岐阜関ケ原古戦場記念館では、NHK大河ドラマ「どうする家康」展・ぎふ 関ケ原(主催:(一財)NHKサービスセンター)を開催しています。出演者の等身大パネルや実際に着用した衣装、出演者サインなどが展示され、ドラマの世界感を体感できます。また、家康や関…
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- 小早川秀秋陣跡 松尾山城跡
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- 西濃
- 関ケ原の合戦に1万5千もの大軍を松尾山に待機させていた小早川秀秋は、当時弱冠19歳。徳川家康から催促の鉄砲(問鉄砲)を撃ち込まれ、ついに西軍を裏切り、大谷隊を撃破。寝返りにより、東軍を勝利に導きました。現在も山頂からは、古戦場を眼下に眺めることがで…
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- 伊木山城
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- 岐阜・中濃
- 永禄八年(1565)、織田信長が尾張から美濃に攻め込む際、最初に侵攻した城です。信長は斎藤方の鵜沼城・猿啄城を攻めるため、まず伊木山城を攻略し、足掛かりとしました。伊木山城攻略に活躍した「伊木清兵衛」はその後、池田恒興・池田輝政に仕え、家老として関ヶ原…
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- 曽根城跡
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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 阿木城跡
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- 東濃
- 「城」と聞くと、天守や石垣が連想されることでしょう。しかし、こうした施設を備えるのは織豊期(もしくは安土桃山時代)から江戸時代に築かれた城です。阿木城はそれ以前に築かれた戦国時代末期の城跡です。戦国時代末期の美濃国東部は、織田信長と武田信玄による争…
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- 明智光秀公ブロンズ像
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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公 明智光秀が、出生地の故郷明智荘に438年の時を経てよみがえりました。高さは台座を含めて約4m30cm、鎧に陣羽織を羽織り、鉄砲を携えた迫力のある立像です。人々が穏やかに暮らせる、争いのない時代を願って可児から雄飛した…
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- 史跡 江馬氏館跡公園
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- 飛騨
- 【国史跡追加指定記念キャンペーン実施中!!】 2023年10月、神岡町の傘松城跡が史跡江馬氏城館跡に追加指定されることが決定した記念として、 江馬氏館跡公園、高原郷土館(神岡城)に入館いただいた方に、 笠松城特別デザインの特製クリアファイルをプレゼント…
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- 濃姫遺髪塚
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- 岐阜・中濃
- 濃姫は、斎藤道三と可児明智城主(現在の可児市)明智三継の娘で才色兼備と言われた小見の方(おみのかた・道三の正室)との間に生まれた。濃姫が信長と結婚後、どのような生活を送ったかは、資料が少ないためほとんどわかっていないが、本能寺の変で信長と共に亡くな…
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- 島津越え(五僧峠)<島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 鈴鹿山系を縫うように広がる時山は、駒野越えで再び上石津に入った島津義弘本隊が、途中出会った織田秀信家臣の小林新六郎の案内で五僧峠を越えて近江高宮に向かった。険しい山道を上り、五僧峠を越えて甲賀から堺浦に出て船で薩摩に帰ったと記されています。五僧峠は…
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- 顔戸城址
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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」で注目を集める可児市北東部から御嵩町西部にかけて存在したとされる明智荘は、古来「明智八郷」と言われており、現在の御嵩町の古屋敷・顔戸、可児市の柿田・渕之上・平貝戸・瀬田・石森・石井の8つの集落を指します。この明智荘には、美濃…
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- 赤坂宿本陣跡・本陣公園
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- 西濃
- 江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は、およそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものでした。文久元年10月25日、皇女和宮がここに泊したことは有名です 。(皇女和宮ゆかりの地)
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- 徳川家康最初陣跡 桃配山
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- 西濃
- 東軍の総大将・徳川家康は、慶長5(1600)年9月14日に岡山(後に「勝山」と呼ばれる。岐阜県大垣市)へ着陣。翌15日の午前、桃配山(岐阜県関ケ原町)に布陣。その後、戦況を把握し、好転せざるべく、ここから前進し、前線近くで東軍を鼓舞しました。
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- タルイピアセンター・歴史民俗資料館
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- 西濃
- 竹中半兵衛の生涯、中山道と美濃路の追分として賑わった垂井宿などを紹介している。また、古墳の石室を再現しているコーナーもある。
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- 苗木遠山史料館
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- 東濃
- 苗木城と苗木遠山家の貴重な資料を展示しています。苗木城の唯一の建物遺構である風吹門の柱と門扉が保管されているほか、遠山家に伝わる実際に使われていた武具などが展示されています。苗木城復元模型は、建物の様子や縄張りがよくわかり、史料館を見学してから苗木…
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- 杭瀬川古戦場
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- 西濃
- 慶長5年(1600年)9月14日、大垣城を出陣した西軍「島左近・蒲生備中(がもうびっちゅう)」ら軍勢約500人は、一隊を伏せて杭瀬川を渡り、東軍「中村一栄」隊を挑発、出陣してきたところを偽りの退去で誘い込み、これを打ち破りました。杭瀬川の広大な河川敷が、往時…
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- 菩提山城跡
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- 西濃
- 竹中半兵衛の居城が構えられた菩提山は、竹中氏陣屋の北西にあります。標高402mの山頂にあり、2.7kmのハイキングコースを登ります。山城跡は、南北約260m・東西最大60mと広大な広さでした。
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- 織田塚
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- 岐阜・中濃
- 天文16年(1547年)、織田信長の父・信秀が岐阜(当時は井ノ口)に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、信長の叔父・信康を始めとした5,000人ともいわれる戦死者が出ました。この戦死者を弔うための織田塚が築かれました。現在、織田塚は円徳寺境内(浄泉坊)と岐阜市霞町…
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