岐阜の
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- 寺社・仏閣
- 桜洞城
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- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
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- 宝光院(ひだりめ不動)
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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 櫻堂薬師
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- 東濃
- 櫻堂薬師(瑞櫻山法妙寺)は弘仁3年(812年)の開基とされ、2012年に開基1200年を迎えました。寺伝によると嵯峨天皇の勅願寺となり日本三大寺院の一つといわれ、今も仁王門・絵馬・仏像等の数多くの文化財を有しています。戦国時代末に焼失しましたが、江戸時代に岩村藩主…
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- 樫原城跡 津島神社
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- 西濃
- 樫原城跡は、令和2年1月の調査で「戦国時代後半の山城」と確認されました。地域に伝わる古い記録には、「永禄のころ、秀吉の長島攻めのとき、樫原に陣を置いた。永禄の頃、三輪三人衆の一人、佐渡が樫原に住んだ。」と書かれています。「明智氏一族宮城家相伝図書」(…
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- 黒田長政お手植えの銀杏の木・五明稲荷神社
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- 西濃
- 天正6年(1578)、羽柴秀吉が播磨平定を進める中三木城攻めのおり、織田家家臣の荒木村重が摂津で謀反を企てました。村重と旧知であり、秀吉の部下であった黒田官兵衛が説得に当たりましたが、逆に石牢に幽閉されてしまいます。黒田官兵衛が裏切り村重に寝返ったと判断…
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- 東香寺
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- 岐阜・中濃
- 正和4年(1315)、夢窓国師の開山になるもので、 その作と伝わるこの庭園は、自然の地形を生かして心字池を配した名園で、 その風雅なたたずまいは格別です。本堂裏手にある池も夢想国師の作と伝えられ、 町指定の名勝となっているほか、 春にはサツキやツツジ等…
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- 大雄寺
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- 飛騨
- もとは吉城郡上広瀬村(現高山市国府町)にありましたが、1586年に金森長近によって、現在の地に移され、浄土宗の寺となりました。鐘堂は1689年に建てられた飛騨地方最古のものです。
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- 龍泰寺
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- 岐阜・中濃
- 龍泰寺は応永14年(1407年)、第1祖無極慧徹(むごくえてつ)禅師によって開創され、開基は9代将軍足利義尚とされています。本堂裏山の中腹には、後光厳天皇(1368年~1375年)の旧跡地としての石碑が建てられています。龍泰寺には、今でも櫃(ふたのある大きな箱)…
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- 加佐美神社
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- 岐阜・中濃
- 加佐美神社の創建は7世紀前半とされ式内社であり、各務原市蘇原地区の産土神とされています。旧社格は郷社。各務原市内の金弊社五社のうちの一社。境内には、阿弥陀堂が現存しており、神仏習合の名残が残っています。本殿(1687年建築)・幣殿(1910年建築)・拝殿(1…
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- 妙雲寺
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- 岐阜・中濃
- 江戸時代に領主大嶋氏の発願により家臣や領民が如来像を奉納し、その数が千体を超えたため千体釈迦如来像といわれるようになった。千体を越える仏像がずらりと並んでいて、なかなかの壮観。毎年8月28日に御開帳され、その際に千体釈迦如来像をご覧にいただけます。い…
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- 瑞林寺
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- 岐阜・中濃
- 地元特産の蜂屋柿を室町幕府10代将軍足利義稙に献上して与えられた「柿寺」の称号で呼ばれる名刹。総高481cmの木造弥勒仏坐像(蜂屋大仏)をはじめ、県や市の文化財が多くあります。1月には、堂上蜂屋柿茶会が開かれます。また「徳川家康への干し柿の献上」が記された…
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- 智照院
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- 岐阜・中濃
- 平成24年(2012年)に岐阜市・各務原市をめぐる七福神として「ぎふ七福神」は開創されました。智照院には、恵比寿天が祀られています。白衣観音を本尊とする曹洞宗 の寺院で山号は普門山。美濃新四国 72番札所。
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- 林陽寺
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- 岐阜・中濃
- 平成24年(2012年)に岐阜市・各務原市をめぐる七福神として「ぎふ七福神」は開創れました。林陽寺には、布袋尊が祀られています。延暦15年(796年)、弘法大師が当地を訪れ薬師如来の尊像を彫り本尊佛とした。寛文5年(1665年)、了然玄超禅師によって開山された曹洞…
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- 無動寺の戦い跡 光得寺 梵鐘
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- 岐阜・中濃
- 天文13年(1544年)8月、斉藤道三と尾張(現愛知県)の織田信秀(織田信長)の父との戦いの地。織田勢5000余人は、越前の朝倉勢7000余人と相呼応して、8月15日を期して稲葉山を挾撃します。斉藤道三の娘婿である土岐頼香(よりたか)を大将にして、無動寺村の安養山光…
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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺
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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- 十一面観世音菩薩立像(別府観音堂)
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- 岐阜・中濃
- 別府観音堂に安置されている通称「別府観音」とよばれる観音像は、谷汲山の観音像と同作等身の像で、 古来より兄弟の霊像であると伝えられています。像高182.4cm・台座の高さ9.0cmの桧材一木造彫眼で衣文の彫り、裳の折り返し、裾など穏やかで丸みをおび、 温和で均整…
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- 林昌寺
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- 飛騨
- 林昌寺は古くは飛騨国司であった姉小路家代々の菩提寺でしたが、衰退していたのを金森可重が実父母の追善の為に、天正17年(1589年)に再興されました。山門は増島城の薬医門を移築したとされ、市指定の有形文化財に登録されています。山門隣の十王堂には仏誕2500年記…
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- 瑞巌寺・小島頓宮の碑
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- 西濃
- 美濃国と尾張・伊勢の合わせてた『 三ヶ国の守護大名 土岐頼康 』と 父「頼清」の墓があります。また、南北朝時代、北朝の第4代・後光厳天皇(ごこうげんてんのう)を招いた「小島頓宮」の碑も境内にあります。揖斐川町:明智光秀ゆかりの地
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- 十五社神社
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- 岐阜・中濃
- 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬していました。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した越前産笏谷石製の狛犬一対が現存しています。当時の朝倉氏は笏谷石を越前国外にほとんど持ち出さなかったことが分かっており、土岐氏と朝倉氏の深い関係が想像さ…
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- 桂昌寺 牡丹園
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- 岐阜・中濃
- 霊峰高賀山を眺望する高台の寺で、裏山を含めた庭園には、どの季節にもたくさんの花に彩られ、四季折々で違う顔を見せてくれます。中でも牡丹はその数・質ともに素晴らしく、毎年4月中旬~5月上旬にかけて開催される『ぼたんまつり』の際には、150種約2000株の牡丹が…
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