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- 西濃
- 関ケ原古戦場 開戦地
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- 西濃
- 関ケ原合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけに松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を行い、この開戦地で関ケ原合戦開戦の火ぶたが切られました。「徳川四…
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- 大谷吉継の墓・湯淺五助の墓
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- 西濃
- 「大谷吉継の墓」は、平塚為広の碑より山道を15分ほど登った場所にあります。その墓はひっそりと吉継の側近「湯淺五助の墓」と一緒に建っています。石田三成の盟友だった大谷吉継は、病身を押して関ケ原の合戦に参戦し、三成への『義』を貫きます。吉継は藤堂・京極隊…
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- 弓削寺のアジサイ
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- 西濃
- 弓削寺は、弘仁8年に天台宗の開祖・最澄が創建したと言われています。本尊が馬頭観世音菩薩であることから馬関係者の参拝が多いようです。6月の境内には数百株の紫陽花が色鮮やかに咲き誇り、梅雨の喜びを感じさせてくれます。
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- 金屋川原の合戦址 須賀神社・正覚寺
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- 西濃
- 西軍として南宮山後方に布陣していた長宗我部盛親は、関ケ原の合戦での味方の敗走を知り、戦わずして戦線離脱を図りました。伊勢方面へ抜けようと南へ進んだ毛利秀元・長曽我部盛親・長塚正家らは、養老町金屋付近で、遅れて関ケ原を目指していた東軍・松の木城主&nbs…
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- 中山道と美濃路 垂井追分道標
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- 西濃
- 宝永6(1709)年に建てられた追分の道標は、「中山道」と「美濃路」の大切な分岐点。中山道250余りの道標中、七番目に古いものです。☆「美濃路」は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道。徳川家康が、関ヶ原合戦後に凱旋の帰路とし…
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- 池田輝政陣跡・春王安王墓
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- 西濃
- 岐阜城攻略で二の丸一番乗りを果たした池田輝政は、関ケ原合戦では、南宮山の軍勢に備えて布陣しました。陣跡の石碑は、室町時代の史跡である春王・安王の墓と同じ敷地に建っています。その後、輝政公は、姫路藩初代藩主として姫路城を現在残る姿に大規模に修築します…
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- 森部の合戦場跡と出世の松(利家とまつ)
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- 西濃
- 永禄4(1561)年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出、斎藤龍興の軍と戦いました。斎藤軍6千に対し、織 田軍1万5千で対戦。墨俣の下宿から押し寄せてきた斉藤軍を織田軍は、味方を三手に分け敵をはさみうちにして破りま…
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- ばら公園いこいの広場
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- 西濃
- バラが特産の町、神戸町(ごうどちょう)のばら公園いこいの広場は、約7000㎡敷地に、約300品種3300株のバラが植えられています。香り、形、名前などテーマごとに分かれた花壇で、自分のお気に入りのバラを見つけてみてください。色や形を楽しむだけでなく、香りに包…
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- せきがはら史跡ガイド
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- 西濃
- 「せきがはら史跡ガイド」は、関ケ原町の史跡講座を2年間受講したメンバーで構成されています。希望の時間(9:30~16:30の間で自由設定) やコースに合わせて関ケ原の名所古跡を案内してくれるので、旅のプランに組み込みやすいです。また、初めて関ケ原を訪れた方…
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- 関ケ原でサイクリング 電動アシスト付自転車レンタル
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- 西濃
- 関ケ原駅前観光交流館にて行っている「電動アシスト付自転車」の貸し出しを予約出来ます。電動アシスト付の自転車は台数に限りがありますので、土日祝祭日は特に予約されることをお勧めします。皆様に安心して乗っていただけるようヘルメットをご用意しております。※…
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- 道の駅 夜叉ヶ池の里さかうち
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- 西濃
- 夜叉ヶ池への観光客のほか、地元客や滋賀・福井方面への通行客が訪問することが多い道の駅。環境保護の観点からジビエ商品に注力しており、こちらで販売されているジビエ商品は捕獲から素早く解体・加工されるため臭みが少なく、脂肪分が少ない鹿肉ならではのおいしさ…
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- 墨俣 犀川堤
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- 西濃
- 1.2kmにわたるあじさい街道を体感してみませんか?岐阜県大垣市墨俣地区にある犀川堤。 地域の皆さんの手で植えられた約3800本のあじさいが6月になると一斉に花開きます。 数々の種類からなる色のグラデーションがとても幻想的です。 春は桜トン…
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- 木曽三川公園「春こいフェス」【海津市】
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- 西濃
- 1月下旬~3月中旬の春が待ち遠しい時期、7500球のアイスチューリップなどが楽しめるイベントです。親子で楽しめるイベントも盛りだくさん!是非家族そろってお出かけ下さい。
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- 妙應寺
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- 西濃
- 今須宿の中ほど、国道21号線の高架を越えたところに「妙応寺」があります。この寺は室町時代の初め、正平15年(1360年)に、今須領主長江重景が、亡き母・妙応のために創建した県下で最も古い曹洞宗寺院です。門扉には菊花紋章が埋め込まれ、荘厳な本堂が建ち、五百羅…
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- 源平墨俣川古戦場 義円公園
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- 西濃
- 平安時代末期の養和元年(1181年)2月4日、「平清盛」病死。東国源氏は、勢を得て京へ攻め上ります。3月10日、源氏を迎え討つため、平家は「平重衡」を総大将として、杭瀬川(岐阜県大垣市)を渡り右岸の墨俣側(上下宿)に陣しました。一方、源氏の将「行家」(新宮…
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- 曽根城跡
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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 福束城の戦い跡
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- 西濃
- 南濃を平定するため「関ケ原の合戦」の約1か月前 慶長5年(1600年)8月16日に「関ケ原の合戦 最初の前哨戦」がありました。福束城の戦いは、東軍 福島正則が再三の誘いをしりぞけて西軍に加わった「丸茂兼利」の居城であり舟運の要衝「福束城」を今尾城主 市橋長勝…
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- 美濃路
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- 西濃
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができました。そのため、参勤交代で国許を行き交う諸大名だけでな…
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- 墨俣一夜城・犀川堤の桜
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- 西濃
- 墨俣一夜城の周りを流れる犀川の堤防沿いに、約800本の桜並木が3.7kmにわたり続いています。桜のトンネルを抜けると墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)があり、城と桜が見事に調和して風情があります。飛騨・美濃さくら33選にも選ばれ、ライトアップされた墨俣一夜…
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- 月夜谷ふれあいの里
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- 西濃
- 魚釣り、魚のつかみ取り、そば打ち、こんにゃく作りといった体験メニューが豊富。コテージ(6棟)に宿泊して、BBQ(バーベキュー)もできるので、家族連れやグループに最適です。ローラー滑り台やターザンロープなど子どもに人気の遊具や釣堀などもあり、子どもの年齢…
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