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- 西濃
- 氷砂糖資料館
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- 西濃
- 氷砂糖に関する歴史の資料や氷砂糖ができるまでの製造解説など!体験コーナーでは綿菓子体験も出来ます。(小学生以下対象)
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- 森部川古戦場薬師堂
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- 西濃
- 永禄4年、織田信長は西美濃を征服しようと、本郷村より長良川を渡って森部村に進出し、斉藤龍興の軍と戦いました。斉藤軍6000人に対し、織田軍1500人で戦い、墨俣の下宿から押し寄せてきた斉藤軍を信長は見方を三手に分け、敵を挟み撃ちにして破りました。この戦いで…
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- 関ケ原町歴史民俗学習館
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- 西濃
- 2020年10月にリニューアルし、関ケ原町歴史民俗学習館として新しい施設になりました。「岐阜関ケ原古前城記念館」と共に、関ケ原町の郷土・歴史を大切にし、教育的視点・体験的要素要素を重視した施設です。全国の歴史ファンが集い、歴史を学び、語ることができる施設…
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- 島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 神明神社裏側に「島津義弘陣跡」はあり、西軍布陣地のほぼ中央部に位置しています。島津隊はわずか800名程度ともいわれる少数部隊で、鉄砲を巧妙に使って戦い、陣中では壕も掘らず、柵も作らず、鉄砲隊は交互に入れ替わり狙撃し、騎馬隊を打ち落としていたといわれて…
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- 竹中半兵衛公生誕之地
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- 西濃
- 大野町公郷は秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地と伝えられてきました。半兵衛の出生地には諸説ありますが、垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、半兵衛重治は、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂城(現大野町公郷)に…
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- 夜叉堂 夜叉ヶ池伝説ゆかりの地
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- 西濃
- 夜叉ヶ池伝説ゆかりの夜叉堂には、早咲きの「河津桜」約20本が植えられています。見ごろは3月上旬から中旬で、濃いピンク色の花が鮮やかに咲き誇ります。夜叉堂には、日照りのために干上がった田畑を潤し住民を救った夜叉姫とその父親である安八太夫が祀られています。
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- 安八温泉
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- 西濃
- 地下1,500mから湧出する温泉は、ナトリウム塩化物温泉で、神経痛・筋肉痛・関節痛の緩和、疲労回復、健康増進に効果があるとされています。
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- 長寿院盛淳の墓・琳光寺
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- 西濃
- 島津義弘公の家老・長寿院盛淳は、島津豊久公に次いで捨て奸(すてがまり)を行い、義弘公から賜った陣羽織を身につけ、「我こそは義弘也」と名乗り、主君の身代わりとなって討ち死にしました。琳光寺には、盛淳公を悼んで宝暦治水の薩摩藩士が刻んだ五輪塔と、子孫が…
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- 平田公園【海津市】
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- 西濃
- 芝生広場や遊具のほかに、全天候型の多目的ドームやパターゴルフ場など個性豊かな施設です。春には堤防沿いに桜が咲き誇り絶景です。
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- 飛鳥川のホタル
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- 西濃
- 飛鳥川一帯では6月初旬から中旬頃まで美しいホタルの光を見ることができる。自然繁殖したホタルが優美に舞う姿をごゆっくりお楽しみください。
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- 美濃路
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- 西濃
- 美濃路は、東海道宮宿(現愛知県名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ全長約58キロに及ぶ街道でした。中山道の木曽谷、東海道の鈴鹿峠や七里の渡しといった難所を避けることができました。そのため、参勤交代で国許を行き交う諸大名だけでな…
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- さぼう遊学館【海津市】
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- 西濃
- 羽根谷だんだん公園内にあり、土砂災害について学べる施設です。土砂災害が起きないように、山から大量の土砂が住宅地にまで流れ出すのを防ぐために砂防堰堤を造り、谷の流れを整えることを「砂防」といいます。江戸時代から土砂災害と闘ってきた歴史ある羽根谷を多く…
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- 田中吉政陣跡
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- 西濃
- 「田中吉政陣跡」の碑は「徳川家康最後陣跡」のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62年のことでした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようですが、田中隊は…
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- 黒田長政・竹中重門陣跡 / 岡山 ( 丸山 ) 烽火場
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- 西濃
- 標高164mの丘陵地・岡山に竹中重門は、黒田長政とともに陣を取り戦機を見て狼煙を上げました。ここは、戦況が把握しやすく関ケ原の合戦の「開戦の狼煙」を上げるには好適地。現在も山頂からは関ケ原のまちや辺り一帯を一望することができます。~黒田と竹中の不思議…
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- 美濃路 墨俣宿脇本陣
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- 西濃
- 美濃路墨俣宿にあった脇本陣跡に建つ民家です。脇本陣は明治24年(1891年)の濃尾震災の際に倒壊し、現在は隣接する本正寺に山門が残るのみです。その後、再建されたこの建物は、脇本陣時代の構造を色濃く残しており、当時の宿場町の面影を偲ぶことができます。週末には…
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- 曽根城跡
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- 西濃
- 西美濃三人衆の稲葉一鉄(いなばいってつ)も城主を務めた曽根城は、関ケ原の合戦当時は西尾光教(にしおみつのり)が城主。光教が東軍に与したため、石田三成は近隣諸将に打ち壊しを命じます。その後、東軍が赤坂に進出すると、松平康長・水野勝成らが入城し、大垣城…
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- 日吉神社
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- 西濃
- 日吉神社は、町の中心にあって「神戸山王まつり」の舞台ともなる、文化遺産と歴史の宝庫です。弘仁8年(817年)に伝教大師が創建した神社で、近江坂本の日吉大権現を主神として7柱の神が祀られています。神社境内には、神仏習合の名残の三重塔が建立され、国の重要文…
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- 宇喜多秀家ゆかりの地
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- 西濃
- 1600年(慶長5)関ヶ原合戦に敗れた宇喜多秀家は、白樫村(現在の揖斐川町白樫)の矢野五右衛門に助けられ、この地に匿居したとされています。
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- 奥平貞治の墓
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- 西濃
- JR関ヶ原駅から北西へ約4km弱の場所に「奥平貞治の墓」があります。関ケ原の戦いで貞治は家康の意を受けて、西軍の裏切りを約束していた小早川秀秋隊の監視をしていました。秀秋の裏切りの後には軍の先頭に立って松尾山を攻め降り、大谷勢と奮戦し、玉村あたりで討ち…
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- 島左近陣跡
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- 西濃
- “三成に過ぎたるもの”と言われた島左近は関ケ原の合戦前日、兵500を率いて挑んだ岐阜県大垣市「杭瀬川の戦い」で勝利し、西軍の士気を高め、当日は笹尾山の麓に布陣します。開戦後、攻め寄る黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せましたが…
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