篠田桃紅の世界観に浸る!「岐阜現代美術館」リニューアルオープン
- 透 千保
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新しく建設された「桃紅館(とうこうかん)」が、桃紅の誕生日である3月28日にオープンしました。
2021年3月に107歳で亡くなるまで制作に没頭した篠田桃紅の作品を1000点以上保有し常設する美術館は、世界でここだけ。
今回は、新装なった岐阜現代美術館の魅力をたっぷりとご紹介します。
桃紅館1階 展示室
新設された「桃紅館」は、桃紅の作品から墨と銀箔をモチーフに、5つの立方体が組み合わさったモダンなデザインです。
とてもシックな外観ですね。
岐阜県ゆかりの美術家として著名な方ですが、どのような作品と出会えるのかワクワクします。
1階の展示室エントランスでは、桃紅の筆による書「桃紅大地」が迎えてくれます。取材に伺った日は、宮崎館長によるギャラリートークが行われ、来場者は解説を聞きながら鑑賞しました。
現在、開館記念展が開催されており、初期から晩年までの代表作30点を展示。年代ごとに変化していく作風を観ることができます。
優美で力感にあふれた線。一瞬で表現が決まる書の技法が、引き絞った弓のような緊張感を醸し出しています。
※館内は撮影禁止です。今回は特別に許可を得て撮影しています。
篠田桃紅の生い立ち
篠田桃紅は、1913年に父親の赴任先であった中国の大連で生まれ、翌年帰国し東京で育ちます。
父が岐阜市出身、祖母が岐阜県出身であったため、幼少期から美濃和紙などに触れる機会があり、岐阜を心のふるさとのように感じていたそうです。映画監督の篠田正浩氏は、従兄弟にあたります。
5歳にして父の手ほどきで初めて墨と筆に触れ、23歳で家を出て書の世界に入ります。その後、表現としての書を志し、「文字」の決まり事を離れて「線」の美しさを追求するようになり、1956年43歳で渡米。
水墨の抽象画(墨象)による作品が、抽象表現主義が全盛期だったニューヨークを中心に高く評価され、帰国後は、日本でもその名を知られるようになっていきました。
2005年には、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれています。
その後、様々な方面からの依頼により、随筆、リトグラフ、建築など、活動の幅を広げていきました。
桃紅館2階 アトリエを再現した展示室
2階には、桃紅が1970年から約50年間を過ごした東京南青山の自宅兼アトリエが移設され、忠実に再現されています。
机の横には、愛用の大きな硯、筆や刷毛が200本以上並び、亡くなる3ヶ月前まで制作に没頭した2021年当時の様子が伝わってきます。
窓の障子から差し込む柔らかな光。室内にカレンダーや時計など時を刻むものはなく、自然の光で季節の移ろいを感じながら、多くの作品を生み出しました。
この美術館は、マンションと同じ南西方向に建てられ、桃紅が感じたであろう時の流れを感じ取ることができます。
端正に整えられた静謐な空間。美術家の創作意欲やアイディアの閃きを感じられるような気がして、いつまでも眺めていたくなります。
壁の傷や床の膨らみも再現。床には、桃紅自身が補修したガムテープも。
梁の汚れもトレースで写し取って、エイジングによりリアルに再現されています。
アトリエの隣の応接室も、在りし日のそのままに再現されています。小さいながらも趣味がよい茶室のような部屋。桃紅は、ここで来訪者とどんな話をしたのでしょう。
画家のアトリエや作家の書斎を再現した施設は他にもありますが、ここまでリアリティを極めている桃紅館は唯一無二の場所。篠田桃紅の人物像を鮮やかに表しています。
再現できなかったものは、「墨のにおいと桃紅さんだけ」と、宮崎香里館長。桃紅と実際に会って話した出来事などを、なつかしそうに話してくださいました。
宮崎館長は、子どもの頃、婦人雑誌で、初めて桃紅の作品を見て「美しい」と感じたそうです。時は流れて、ご主人の赴任先であったシンガポールの美術館で開催された桃紅の個展で作品に再会。
美術館の日本人ガイドグループに展示の解説をしたことで、美術がより身近なものになったとか。
大学時代は教育学を専攻されましたが、さらに美術を学びたいと大学に再入学し、学芸員の資格を取得。その後、縁あって、岐阜現代美術館のキュレーターに。本当に不思議な巡り合わせですね。
篠田桃紅について研究している人は少なく、今後も貴重な資料を元に、研究を続けられるそうです。
大地館(旧 岐阜現代美術館)
「岐阜現代美術館」は、関市にある鍋屋バイテック会社の本社敷地内にあります。関工園と呼ばれる、自然との調和を感じさせる緑豊かな場所です。
元会長の岡本太一氏は、アメリカの工場にヒントを得て、自然と融合したクリエイティブな工場(工場工園)を目指しました。
美術館やコンサートホール、フィットネスセンターなどを備えた園内で、社員が生き生きと仕事をする仕組みです。
敷地の一角に、これまで岐阜現代美術館として使われていた建物があります。
1992年に音楽ホールとして開館した円筒形ドーム型の建物は、カスケードやプールが配され、1993年度「日経ニューオフィス推進賞<通商産業大臣賞>」を受賞しています。
岡本太一氏は、現代美術の収集家でもあり、特に篠田桃紅の作品に心を動かされ、全国有数のコレクションを有していました。
2006年に「岐阜現代美術館」を開設すると、初代理事長に就任しました。
なんと美術館の住所を「桃紅大地1番地」に字名変更!展示室エントランスで迎えてくれた作品「桃紅大地」は、この場所の名でもあるのです。
これまで、この建物内で現代作家の作品展示やコンサートなどが開催されて来ましたが、「桃紅館」が新設されたことで、今後は、「大地館(たいちかん)」と命名され、様々なイベントに活用されます。
オープニングセレモニー
リニューアルオープンに先立ち、3月23日には、「大地館」でオープニングセレモニーとクラシックコンサートが開催され、私は司会を務めさせていただきました。
桃紅と長年親交のあった高円宮妃久子殿下もご臨席になり、「22歳の時、英国の画廊で自分が欲しいと思って初めての給料で買ったのが、桃紅さんの作品でした。」と述べられました。
屏風には、現在の上皇様、上皇后様が岐阜県を訪問された折、桃紅の作品をご覧になったことへの感謝の気持ちが表現されています。
「豊」は上皇様を、「心」は上皇后様を想って制作されたのだそうです。
会場内は、ピアノトリオが奏でる美しい音色に包まれ、なごやかな雰囲気の中、桃紅館のオープニングを祝うことができました。
内覧会も行われ、高円宮妃殿下も、作品を1つ1つ丁寧にご覧になりました。
おわりに
桃紅は、かねてより、自分の作品を集めて、岐阜の地で公開したいとの意向を持っていたと聞きます。
独自のスタイルを確立し、100歳を超えてもなお、新しいものを描きたいという情熱を常に持ち続けていた篠田桃紅。
「一瞬にして去る風の影、散る花、木の葉、人の生、この世の『とどめ得ないもの』への、私流の惜しみかた、それが私の作です」と語っています。
何にも束縛されず自由な感性で引かれた墨の線。見る者の心を惹きつけてやまないのは、時代に翻弄されながらも、しなやかに生きた桃紅の生き様を感じるからなのかもしれません。
開館記念展「篠田桃紅Collection」は、2024年6月15日まで開催されています。入館料は一般500円、高校生以下無料。
◆岐阜現代美術館
住所:〒501-3939 岐阜県関市桃紅大地1番地(鍋屋バイテック会社 関工園内)
TEL:0575-23-1210
開館時間:午前9時30分~午後5時
閉館日:日曜日、祝祭日、第2、4土曜日、年末年始
※イベントや展示替えで臨時休館あり。公式ホームページをご確認ください。