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- 関ケ原町
- 大谷吉継の墓・湯淺五助の墓
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- 西濃
- 「大谷吉継の墓」は、平塚為広の碑より山道を15分ほど登った場所にあります。その墓はひっそりと吉継の側近「湯淺五助の墓」と一緒に建っています。石田三成の盟友だった大谷吉継は、病身を押して関ケ原の合戦に参戦し、三成への『義』を貫きます。吉継は藤堂・京極隊…
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- 関ケ原明神の森
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- 西濃
- 国道21号線関ケ原バイパスからアクセス可能な「明神の森」。関ケ原古戦場の北、伊吹山に隣接するこの森は、四季折々の花々と素晴らしい眺望が魅力です。管理棟にある第一駐車場までは車で登ることができ、小道を少し上がったところにあるふれあいの広場からは、濃尾平野…
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- 黒田長政・竹中重門陣跡 / 岡山 ( 丸山 ) 烽火場
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- 西濃
- 標高164mの丘陵地・岡山に竹中重門は、黒田長政とともに陣を取り戦機を見て狼煙を上げました。ここは、戦況が把握しやすく関ケ原の合戦の「開戦の狼煙」を上げるには好適地。現在も山頂からは関ケ原のまちや辺り一帯を一望することができます。~黒田と竹中の不思議…
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- 関ケ原町歴史民俗学習館
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- 西濃
- 2020年10月にリニューアルし、関ケ原町歴史民俗学習館として新しい施設になりました。「岐阜関ケ原古前城記念館」と共に、関ケ原町の郷土・歴史を大切にし、教育的視点・体験的要素要素を重視した施設です。全国の歴史ファンが集い、歴史を学び、語ることができる施設…
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- 藤古川のホタル
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- 西濃
- 毎年、関ケ原町藤古川周辺では多くのホタルが飛び交う様を見ることができます。6月上旬から中旬にかけて、ゲンジボタルの姿を見ることができ、多い時には数百匹のホタルが一斉に乱舞し、幻想的な光景で見物に訪れた人々を楽しませてくれます。藤古川の名神高速道路高…
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- 大谷吉継陣跡
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- 西濃
- 「大谷吉継陣跡」は、山中(やまなか)の「大谷吉継の墓」から少し下った場所にあり、ひっそりと碑が建っています。大谷隊は、関ケ原の合戦が始まる十日程前に「若宮八幡宮」上の急斜面に陣を作り始めました。この陣は、空堀を左右に巡らせ、山中城と呼ばれるほどの要害の地で…
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- 島左近陣跡
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- 西濃
- “三成に過ぎたるもの”と言われた島左近は関ケ原の合戦前日、兵500を率いて挑んだ岐阜県大垣市「杭瀬川の戦い」で勝利し、西軍の士気を高め、当日は笹尾山の麓に布陣します。開戦後、攻め寄る黒田長政や細川忠興ら東軍を幾度も押し返す活躍を見せましたが…
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- 北天満山・小西行長陣跡
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- 西濃
- 小西行長は約6000名の兵を率いて西軍につき、北国街道と東山道(中山道)の間に位置する北天満山に布陣し、合戦開始とともに烽火をあげて味方に合戦の合図をしました。西軍諸隊が総崩れした後は揖斐川町方面へ敗走しましたが、その後自首し、京都で石田三成らとともに…
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- 本多忠勝陣跡
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- 西濃
- 徳川四天王である本多忠勝は、三方ヶ原・長篠の合戦等で数々の功を上げた猛将で勇猛なだけではなく知略も備えた名将でした。さらには、政治家としても力量を発揮し、特に人心掌握に努めて領民の敬愛を集めたといういわれもあります。その忠勝の陣跡は「十九女池」の西…
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- 福島正則陣跡
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- 西濃
- 福島正則は秀吉子飼いの大名でありながら 、石田三成と対立して東軍へ加担し、関ケ原合戦の開戦後、宇喜多隊に襲いかかり死闘を繰り広げました。現在、陣跡が残る春日神社境内には、関ケ原合戦屏風にも描かれた樹齢800年の「月見の宮・大杉」が、どっしりとそびえ…
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- 西首塚
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- 西濃
- 「西首塚」は、JR関ケ原駅前から国道21号線を西へ700mほど行ったところにあります。「東首塚」と同様、当時この地の領主であった竹中重門が徳川家康の命により、関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。現在は高さ2m、周囲30m程の塚ですが、JR東海道本線の敷…
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- 薩摩池 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 島津義弘隊が布陣した際に軍用として使用した小さな池で、古来より水が枯れたことはないと言われています。関ケ原合戦の勝敗がついた後、島津隊は敵中突破の撤退にて、伊勢街道を走り抜けました。
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- 松平忠吉・井伊直政陣跡
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- 西濃
- 関ケ原の合戦で、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉(徳川家康の四男)に手柄を立てさせたい一心でした。東軍先鋒は、福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に福島隊の先頭隊長の可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊…
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- 親鸞聖人ゆかりの八房の梅・聖蓮寺
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- 西濃
- 関ケ原町今須地区の平井集落に所在する「八幡山 聖蓮寺(しょうれんじ)」には、町・県指定天然記念物の「八房(やつふさ)の梅」と呼ばれる梅の木があります。この梅の木は、鎌倉時代、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が、関東から京都の岐路の際、この寺に立ち寄り食…
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- 東首塚
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- 西濃
- JR関ケ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に広葉樹の森がありその中に「東首塚」があります。朱色の大きな門を抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この塚は関ケ原合戦後、徳川家康が床几場で首実検をし、その後東西2ヶ所に埋葬したことから「東…
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- 関ケ原マーブルクラフト
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- 西濃
- 「関ケ原マーブルクラフト」は大理石美術工芸技術の粋を極めた作品の数々を展示、販売しています。他にも大理石・オニックスをはじめ世界貴金属を展示即売していて、マーブルアートの素晴らしさを一般に公開して広く知ってもらおうと、加工工場と展示場に見学者を迎え…
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- 山内一豊陣跡
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- 西濃
- 旧中山道沿いにある「山内一豊陣跡」は、大きな松と山内家の三つ葉柏の軍旗が目印です。慶長5年(1600年)に徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の軍に参加した一豊は、関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に…
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- 島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 神明神社裏側に「島津義弘陣跡」はあり、西軍布陣地のほぼ中央部に位置しています。島津隊はわずか800名程度ともいわれる少数部隊で、鉄砲を巧妙に使って戦い、陣中では壕も掘らず、柵も作らず、鉄砲隊は交互に入れ替わり狙撃し、騎馬隊を打ち落としていたといわれて…
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- 奥平貞治の墓
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- 西濃
- JR関ヶ原駅から北西へ約4km弱の場所に「奥平貞治の墓」があります。関ケ原の戦いで貞治は家康の意を受けて、西軍の裏切りを約束していた小早川秀秋隊の監視をしていました。秀秋の裏切りの後には軍の先頭に立って松尾山を攻め降り、大谷勢と奮戦し、玉村あたりで討ち…
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- 平塚為広碑
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- 西濃
- 平塚為広碑は「大谷吉継陣跡」の山を下りて道の東側にあります。関ケ原に隣接した美濃垂井(1万2千石)を治めていたこともあってか、合戦ではいち早く西軍として参戦しました。その背景には大谷吉継と為広が盟友であったという話もあるようで、合戦当日は大谷隊前方に…
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