岐阜の
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- 瑞巌寺・小島頓宮の碑
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- 西濃
- 美濃国と尾張・伊勢の合わせてた『 三ヶ国の守護大名 土岐頼康 』と 父「頼清」の墓があります。また、南北朝時代、北朝の第4代・後光厳天皇(ごこうげんてんのう)を招いた「小島頓宮」の碑も境内にあります。揖斐川町:明智光秀ゆかりの地
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- 島津義弘陣跡 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 関ケ原の合戦・西軍布陣地のほぼ中央部に位置する「島津義弘陣跡」。島津隊と言えば、鉄砲を巧妙に使って戦ったことで有名です。陣中では壕も掘らず、柵も作らず、鉄砲隊は交互に入れ替わり狙撃し、騎馬隊を打ち落としていたといわれています。
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- 岩村歴史資料館
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- 東濃
- 岩村歴史資料館は、岩村城跡の麓の岩村藩藩主邸跡にあります。「享保3年岩村城絵図」「明和3年岩村城平面図」「佐藤一斎自讃画像軸」(いずれも県重要文化財)をはじめとする多くの岩村城、岩村藩関係史料を収蔵展示しています。併設する民俗資料館は、城跡の南東に隣…
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- 宝光院(ひだりめ不動)
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- 西濃
- 伝教大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には徳川幕府から「御朱印地」として特別な保護を受けていました。毎年節分には、大垣の冬の風物詩である「節分会 はだか祭」が開催され、熱気あふれる祭りの舞台となります。祭礼に伴う櫓が建つ境内地は、伝統的な祭りの…
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- 可児市観光交流館
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- 岐阜・中濃
- 山城めぐりの拠点施設及び観光案内所として、平成30年4月にリニューアルオープンしました。館内1階は、戦国時代の本陣をイメージした内装であり、陣幕や甲冑、槍や弓などが展示されています。展示の甲冑はすべて着ることができ、さらに、甲冑や忍装束を着て、美濃…
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- 可児郷土歴史館
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- 岐阜・中濃
- 古代から近代の可児の歴史を網羅する歴史資料館として、化石、考古、彫刻、窯業、陶芸の各分野の資料が展示されています。古代の哺乳動物の化石や、志野、織部の古陶器など、貴重な資料を通じて、可児市の特徴誇りある歴史文化を知ることができます。また、県の重要文…
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- 竹中半兵衛公生誕之地
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- 西濃
- 大野町公郷は秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地と伝えられてきました。半兵衛の出生地には諸説ありますが、垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、半兵衛重治は、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂城(現大野町公郷)に…
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- 大桑城へ けんきゃくコース(古城山登山口)
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- 岐阜・中濃
- 山麓の古城山登山口より古城山を登るコース大桑城の遺構を見ながら山頂を目指します。ルートの一部に傾斜の急なところがあり、距離もあることから、体力に自信のある方にお勧めです。山頂までの距離:約2.1km山頂までの時間:約60分~90分バスでお越しの場合は、古城…
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- 大桑城へ はじかみコース(はじかみ林道登山口)
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- 岐阜・中濃
- はじかみ林道の峠にある登山口より古城山を登るコースの入口です。ルートの大半は緩やかで、距離も長くならないことから、古城山山頂からの雄大な眺めを楽しみたい方にお勧めです。山頂までの距離:約750m山頂までの時間:約20分~30分は必要登山口には、お手洗いはあ…
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- 中観音堂・羽島円空資料館
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- 岐阜・中濃
- 円空上人は、江戸時代(1632年~1695年)の修行僧で、洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家して全国を行脚する放浪の旅に出て、その生涯に12万体の仏像を彫刻しました。円空上人生誕の地と言われる羽島市の中では、最も多くの円空仏が安置されており、本尊の「十…
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- 大谷吉継陣跡
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- 西濃
- 「大谷吉継陣跡」は、山中(やまなか)の「大谷吉継の墓」から少し下った場所にあり、ひっそりと碑が建っています。大谷隊は、関ケ原の合戦が始まる十日程前に「若宮八幡宮」上の急斜面に陣を作り始めました。この陣は、空堀を左右に巡らせ、山中城と呼ばれるほどの要害の地で…
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- 福島正則陣跡
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- 西濃
- 福島正則は、石田三成と対立して東軍へ加担。開戦後、宇喜多隊に襲いかかり死闘を繰り広げました。現在、陣跡が残る春日神社境内には、関ケ原合戦屏風にも描かれた樹齢800年の「月見の宮・大杉」が、どっしりとそびえ立っています。また、関ケ原合戦時に福島隊の戦…
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- 桜洞城
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- 飛騨
- 桜洞城は、戦国時代に益田一帯を制して、勢力を振るった三木氏の居城があったところ。三木氏が飛騨全域を統一して、高山盆地に城を築いてからは、ここを冬の宿地としたことから、「冬城」の名でも知られている。発掘調査の結果、城内の規模は南北約147m、東西約97m…
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- 中山道 ひし屋資料館
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- 東濃
- 中山道大井宿の有力な商家であったひし屋古山家住宅を改修・復元した施設です。 古山家は享保年間(1716~1735年)から幕末まで約150年間もの間、大井村の村役人や庄屋を務めていた旧家で、穀物・小間物・反物・塩の販売と酒造りで財を成しました。 この「ひし屋」は…
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- 十七条城跡(船木城跡)
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- 岐阜・中濃
- 十七条城は、南北朝時代の初め、船木頼胤が築いた城です。享禄年間(1530年頃)より林氏の居城となりました。 お福(のちの春日局)の夫となる林正成はこの城で生まれました。成人後、稲葉重通(一鉄の子)の養子となり、稲葉正成と改姓し、小早川秀秋の家老…
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- 小原城址
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- 岐阜・中濃
- 小原集落の中央部にある白山神社の奥山一帯に城の遺構が残っています。城の規模は小規模で、小倉の姓を名乗る一族が城主であったと伝えられています。普段は神社西側の小倉屋敷(跡)で生活をし、有事のときのみ城を利用していた言われています。現在でも曲輪、堅堀、…
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- 和泉式部廟所
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- 東濃
- 情熱の歌人とたたえられた平安時代の女流歌人和泉式部は、旅する途中この地で病に倒れ、現在の鬼岩温泉で湯治したものの亡くなってしまったと伝えられています。石碑には「ひとりさえ渡れば沈むうき橋にあとなる人はしばしとどまれ」と記されています。
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- 中津川中山道歴史資料館
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- 東濃
- 中山道は江戸幕府が直轄する幹線道路である五街道の一つです。その前身は東山道と呼ばれ,古くから西国と東国を結ぶ重要な街道でした。そして,江戸時代には東海道とともに江戸と京都・大坂を結ぶ重要な街道として発展を遂げました。中津川には中津川宿・落合宿・馬籠…
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- 飯沼勘平長資の墓
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- 岐阜・中濃
- 飯沼勘平長資は、岐阜城主・織田秀信(三法師)の家来で「岐阜四天王」の一人。関ケ原の合戦の前哨戦、「米野の戦い」で多くの手柄を立てた当時21歳の武将(大垣 池尻城主の子)。東軍大将池田輝政の弟、池田長能と一騎打ちをして戦死しました。尚、南西約500mの場所…
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- 旧街道(中馬街道と南北街道)の交差点
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- 東濃
- 恵那市明智町常盤町にある交差点。南北街道と中馬街道の出遇い辻。東へたどれば、伊那路から塩尻へ。西は、 尾張へ。南に下がれば、奥三河から岡崎へ。北は 、中山道へ。かつては馬子の唄声やお伊勢参りの人たちで賑わった宿場の中心でした。
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