岐阜の
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- 黒野城跡
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- 岐阜・中濃
- 文禄3年(1594年)、加藤貞泰が美濃国4万国に封じられた際に築城後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いで加藤貞泰は、東軍(徳川方)に属し、慶長15年(1610年)には2万石加増され伯耆国(ほうきのくに)米子6万石の城主になりました。加藤貞泰の転封後は、黒野は加納藩…
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- 醫王山 飛騨国分寺
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- 飛騨
- 1250年の昔、聖武天皇の勅願によって建立。草建は天平18年。開基は行基菩薩。当時建てられた七重大塔の巨大な礎石が残っています。本堂は室町時代の建築。樹齢1250年以上といわれる大イチョウ、飛騨地方唯一の三重塔、本尊には薬師如来坐像等が安置されてます。
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- 飛騨高山まちの博物館
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- 飛騨
- 平成23年4月11日にリニューアルオープンした飛騨高山まちの博物館。城下町の形成と町家文化をテーマに高山の成り立ちや、継承されている文化などを展示しています。14の展示室には、高山祭や町家、城下町の成り立ちなど、また郷土ゆかりの文人や美術、飛騨にゆかり…
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- 小簾紅園
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- 岐阜・中濃
- 公武合体のため仁孝天皇の第8皇女和宮(かずのみや)が、徳川第14代将軍徳川家茂に嫁ぐため中山道を御降嫁された際、呂久川(現在の揖斐川)を御座船でお渡りになる時、色麗しく紅葉している楓を一枝舷に立てさせられ、玉簾の中からご覧になり、『 おちていく 身と…
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- 大寺山願興寺
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- 岐阜・中濃
- 昭和20年代に建築された駅舎が味わい深い名鉄御嵩駅。この駅を中心に東へと広がる「御嶽宿」は、もともと平安時代に開創された願興寺の門前町として発展してきました。願興寺は、「蟹薬師」とも呼ばれ、創建は弘仁6年(815)という歴史ある古刹。本尊の薬師如来坐像を…
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- 鬼の首塚
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- 岐阜・中濃
- 御嵩町の願興寺に残る寺記「大寺記」には、約800年前、現在の鬼岩(御嵩町次月・瑞浪市日吉地内)に関の太郎という鬼が住んでいたと伝えられており、近隣の村や町に降りては悪さをし、乱暴狼藉を極めたと言われています。困り果てた町民たちは、神様や仏様の力を借り…
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- 地歌舞伎公演(中津川市)
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- 東濃
- 地元の役者たちによって演じられる「地歌舞伎」。大歌舞伎では見られなくなった演目や特有の振付が見物!受け継がれてきた伝統芸能の粋をお見逃しなく!
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- 木曽三川公園 夏の水物語【海津市】
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- 西濃
- ヒマワリや温帯性スイレンなど、「夏の花」が咲き誇る園内で納涼体験をお楽しみください。 最新の情報は木曽三川公園公式HP(https://www.kisosansenkoen.jp/~center/mkisosansenevent.html)をご確認ください。 会場混雑時には入場制限をさせていただくこと…
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- 高須城跡
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- 西濃
- 慶長5年(1600年)8月19日、西軍 高木盛兼の高須城は、福束城を落とした徳永寿昌に欺かれて落城しました。高須城跡公園を含む周辺一帯が、城跡で散策コースも整備されています。
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- 常在寺
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- 岐阜・中濃
- 斎藤道三公とその父・長井新左衛門尉公が二代にわたり美濃国を制する拠点とした寺です。長井新左衛門尉公は、京都から美濃へやって来た商人出身と言われています。寺の正式名は、鷲林山常在寺(じゅりんざん じょうざいじ)。日蓮宗、京都妙覚寺の末寺です。室町時代…
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- 徳川家康最後陣跡 ・ 床几場
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- 西濃
- 「徳川家康」は、合戦当日の午前11時頃、戦況が把握できないため、笹尾山の「石田三成」の陣の正面であるこの陣地に本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の「小早川秀秋」を鉄砲で威嚇した(問鉄砲)と言われています。合戦後は、ここ(床几場)で首実検が行…
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- 烏頭坂 島津豊久碑 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 関ケ原の合戦終盤、陣から敵中突破を図り、徳川家康の本陣をかすめて伊勢街道へ進んだ島津隊。東軍の追撃は、激しく先手を務めていた島津豊久公が殿(しんがり)にまわり、烏頭坂で井伊直政・松平忠吉らを迎え撃ちました。豊久公は重傷を負いましたが、伊勢街道(伊勢…
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- 飛騨の匠文化館
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- 飛騨
- 木の国飛騨で育った木材を使い、飛騨の匠の技を受け継ぐ地元の大工たちによって建てられ、釘を1本も使っていないのが特徴。中庭に面する軒下には、この建物に関わった大工の紋章「雲」が施された小腕が連なります。館内では各種の継ぎ手や木組みの見本展示、パズルの…
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- 承久の乱合戦供養塔 (佛願院・前渡不動尊)
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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月6日、朝廷側と鎌倉幕府側は、まめどで戦いました。前渡・まめど(各務原市前渡・承久記では「大豆戸」・吾妻鏡では「摩免戸」と表記)が、選ばれた理由が、木曽川中でも特に浅く水量の多い夏場でも渡りやすい場所であったからだ言われています。…
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- 十五社神社
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- 岐阜・中濃
- 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬していました。天文9年(1540)に土岐氏が奉納した越前産笏谷石製の狛犬一対が現存しています。当時の朝倉氏は笏谷石を越前国外にほとんど持ち出さなかったことが分かっており、土岐氏と朝倉氏の深い関係が想像さ…
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- 大垣市奥の細道むすびの地記念館
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- 西濃
- 俳聖・松尾芭蕉が「奥の細道」紀行を終えたむすびの地「大垣」で芭蕉がたどった「奥の細道」を追体験できる「奥の細道むすびの地記念館」。「奥の細道」の解説をはじめ、松尾芭蕉の人となりや旅に生きた人生を紹介する「芭蕉館」には、企画展示室とともに「AVシアター…
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- 妙應寺
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- 西濃
- 妙應寺(妙応寺)縁起によれば、今須領主の長江重景公が、亡き母(妙応)が生前領民たちを苦しめた報いをうけて苦しんでいることを知り、母の供養のために創建したとされています。平成22年(2010年)に開創六百五十年大遠忌を勤め、「形と心」の両面を兼ね備えた禅の…
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- 石田三成陣跡 笹尾山
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- 西濃
- 関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる山頂に布陣。麓に陣を置いた島左近らの隊が善戦しますが、次第に押し込まれ、小早川秀秋の東軍への寝返りを機に、西軍は次々に敗走。三成も伊吹山方面へ逃れました。
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- 可児市戦国山城ミュージアム
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- 岐阜・中濃
- 可児市戦国山城ミュージアムでは、可児市兼山地区に残る国史跡「美濃金山城跡」と城主森氏をはじめ市内各地の山城を紹介しています。本施設は、明治18年(1885年)に竣工した小学校校舎であり、懸け造りの3階建て(南面からは2階造り、北面からは総3階)という造りが…
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- 大正時代館
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- 東濃
- 大正時代の象徴「大正天皇」に関する展示や当時の標準的な家庭を様々な生活道具によって再現した生活情景展示の他に、年数回の企画展示が行われます。 当時の暮らしぶりなどをテーマに1階には新聞やレトロなポスターなどが展示されています。当時のポスターはア…
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