岐阜の
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- 大雄寺
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- 飛騨
- もとは吉城郡上広瀬村(現高山市国府町)にありましたが、1586年に金森長近によって、現在の地に移され、浄土宗の寺となりました。鐘堂は1689年に建てられた飛騨地方最古のものです。
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- 行徳岩 (武儀川)
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- 岐阜・中濃
- 「明智光秀公の母」が懐妊していた時、この岩に立って行水し、「私の生む子が男であったら、仮令三日でもよいから天下を取るような立派な男子を、もし女であったら天下一の美女を御さづけ下さい」と祈ったと伝えられています。
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- 薩摩池 <島津の退き口ゆかりの地>
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- 西濃
- 島津隊が、布陣した際に軍用として使用した小さな池です。古来より水が枯れたことはないと言われています。これより、伊勢街道を走り続ける!!
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- 小早川秀秋陣跡 松尾山城跡
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- 西濃
- 関ケ原の合戦に1万5千もの大軍を松尾山に待機させていた小早川秀秋は、当時弱冠19歳。徳川家康から催促の鉄砲(問鉄砲)を撃ち込まれ、ついに西軍を裏切り、大谷隊を撃破。寝返りにより、東軍を勝利に導きました。現在も山頂からは、古戦場を眼下に眺めることがで…
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- 明智光秀公ブロンズ像
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- 岐阜・中濃
- 大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公 明智光秀が、出生地の故郷明智荘に438年の時を経てよみがえりました。高さは台座を含めて約4m30cm、鎧に陣羽織を羽織り、鉄砲を携えた迫力のある立像です。人々が穏やかに暮らせる、争いのない時代を願って可児から雄飛した…
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- 富有柿発祥の地 富有柿の原木
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- 岐阜・中濃
- 富有柿は、全国の甘柿の中でも最優秀品種として栽培されています。 その名の由来は、居倉村(現在の瑞穂市居倉)にあった在来種、居倉御所(御所柿)の中で味・色・形状共に優れている柿に着目した居倉の福嶌才治(ふくしまさいじ)氏がこの接穂を得て増殖し、新…
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- 阿木城跡
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- 東濃
- 「城」と聞くと、天守や石垣が連想されることでしょう。しかし、こうした施設を備えるのは織豊期(もしくは安土桃山時代)から江戸時代に築かれた城です。阿木城はそれ以前に築かれた戦国時代末期の城跡です。戦国時代末期の美濃国東部は、織田信長と武田信玄による争…
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- 炉畑遺跡
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- 岐阜・中濃
- 縄文時代中期から後期の集落遺跡で、発掘調査では10基の竪穴式住居跡と、多くの縄文土器、石器が発見されました。現在は、縄文時代の風景や生活スタイルを見学できる緑豊かな公園として整備されています。
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- 美並ふるさと館
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- 岐阜・中濃
- 円空の初期から晩年の作品約90体を展示し、円空上人の生涯をパネル等で展示しています。施設内では、生活資料館として美並町の昔の生活や風習を再現したもので、すべて手作りで作られています。
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- 明宝歴史民俗資料館
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- 岐阜・中濃
- 旧小学校の古い木造校舎に、昔の生活道具、商業・産業器具、おもちゃ、戦争関連、鉱物、通貨、石器等を展示しています。収蔵品はおよそ47,000点。その内、国の重要有形民俗文化財がおよそ3,500点と膨大な収蔵数です。見どころは、某人気テレビ番組で登場した開かずの…
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- 妻木城士屋敷跡
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- 東濃
- 妻木城のある通称城山の北側の山麓には、御殿と呼ばれる領主の館と家臣の武家屋敷が築かれ、万治元年(1658年)の妻木家断絶まで陣屋として存続しました。屋敷敷地を区切っていた石垣や石段、井戸などが現在も残されており、山麓の御殿跡および武家屋敷は「妻木城士屋敷…
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- 日和田高原石仏めぐり2023
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- 飛騨
- 飛騨と木曽の中間地点である、高根町日和田。2つの地域が融合したような独特な文化を持つこの地には、たくさんの石仏、史跡があり、そのひとつひとつに歴史と物語が秘められています。木曽馬が多く行き交った旧鎌倉街道沿いを始めとして6つのエリアに点在し、約2時間…
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- 小里城跡
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- 東濃
- 土岐一族の支流である小里氏の居城で、岐阜県指定史跡。戦国時代末期には、小里光明らが織田信長の直臣として活躍しました。山頂部には小里城と安土城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しに造られたのではないか」という興味深い説…
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- 城跡公園(太鼓櫓・下田歌子勉学所・知新館)
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- 東濃
- 岩村城跡の山麓の武家屋敷地約2haを利用し、歴史資料館、太鼓櫓、下田歌子勉学所、遊歩道を整備。自然をそのまま生かし、町民や観光客の皆さんに親しんでいただける公園です。【太鼓櫓】 江戸時代初期、時の藩主松平家乗(まつだいらいえのり)が、平和な時代になり…
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- 久々利城跡
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- 岐阜・中濃
- 久々利城は、美濃に勢力を誇った土岐氏の支流である久々利氏の居城と伝えられています。正確な築城年代は不明ですが、築城された時期の上限は14世紀半ばの南北朝時代まで遡ることができます。天正11年(1583)、美濃金山城主である森長可の手により落城しました。築城…
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- 伏見宿本陣跡碑
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- 岐阜・中濃
- 現在は伏見公民館が建っていますが、本陣跡碑や数軒の格子の家並みが往時の様子を偲ばせています。本陣跡碑の傍らに建てられた境界傍示杭は、もとは伏見の西坂にあり「是より東尾州領」と刻まれており、これは西坂から東が尾張藩領であったことを示しています。
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- 小島城跡
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- 飛騨
- 小島城は姉小路三家の一角・小島氏の居城です。高原郷と小島郷を結ぶ神原峠の峠道が脇を通る交通の要衝に位置します。ここには算木積みといわれる石垣がありますが、旧来の飛騨の山城には見られないものです。そのため小島城は金森氏が改修した可能性があるといわれて…
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- 菊姫の墓(中津川市史跡「五輪塔」)
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- 東濃
- 比丘(びく)尼(に)寺と呼ばれるこの地には、かつて木曽義仲の妹・菊姫が亡き兄を弔うために創建した寺、法明寺があったと考えられ、菊姫の墓もこれら五輪塔の中にあるとされる。鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻(あづま)鏡(かがみ)』によれば、源頼朝の妻政子と菊姫は猶…
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- 承久の乱 大井戸渡の古戦場跡
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- 岐阜・中濃
- 承久3年(1221年)6月、幕府軍の挙兵に対抗し、朝廷軍は木曽川沿いに兵を配置しました。幕府側の東山道軍5万余騎が大井戸の渡(わたり)に攻め寄せ、戦乱の火ぶたが切られました。この「大井戸の戦い」では、数に勝る幕府軍が朝廷軍を一気に押し込み、その後の戦い…
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- 松ノ木城跡
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- 西濃
- 城主は、東軍・徳永寿昌。寿昌は関ケ原の合戦後、高須城主に栄進しました。松ノ木城の位置は特定されておらず、御霊神社のあたりと言われています。南美濃の戦いでは、今尾城主・市橋長勝と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。
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