岐阜の
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- 大桑城跡 (古城山)
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- 岐阜・中濃
- 金華山より北上すること約25分。山県市大桑地区は、天文4(1535)年、美濃国守護土岐氏が守護所をそれまでの枝広(岐阜市長良)からこの地に移した地です。標高407.5mの頂上には大桑城が築かれ、城下町も整えられ土岐氏の政治拠点として栄えました。遺構の様子から越前朝…
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- 小西神社
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- 西濃
- 1600(慶長5)年関ヶ原合戦に敗れた小西行長は春日中山へ逃げ、観音寺で匿われたが、捕らえられ、中山に騙されたと思いこんだ行長は強い恨みを持った。それから度々大火が起こるようになり、これを小西行長の祟りと恐れた中山では墓を作り、寺に祀って大改装を行…
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- 杉原千畝記念館
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- 岐阜・中濃
- 第二次世界大戦中、ユダヤ難民へのビザ発給により、数千人もの命を救った「杉原千畝」。杉原千畝記念館は、彼の人道的な精神と功績を称えて建てられました。ごく一般の環境と家庭で育った杉原千畝が、自国の文化を愛しながらも他国の人と共感できる国際人としての資質…
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- 岐阜大仏(正法寺)
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- 岐阜・中濃
- 1832年に、実に38年の歳月を費やして完成した岐阜大仏は、高さ13.7m日本三大仏の一つに数えられ、乾漆仏としては日本一の大きさ。 大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いたもの…
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- 明智城跡
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- 岐阜・中濃
- 岐阜県可児市は、戦国時代、天下統一を目指した織田信長を本能寺の変で倒し、時代の流れを変えた武将である明智光秀の生誕の地。光秀が落城するまでの約30年間を過ごしたとされる明智城は、自然の地形を生かした典型的な中世の山城で、現在は、遊歩道が整備され、ハイ…
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- 中山道 中津川宿
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- 東濃
- 中津川宿は江戸から45番目の宿場町。江戸時代の風情そのままを残したまち並みは、どこか懐かしい気持ちにしてくれます。中山道歴史資料館の裏には脇本陣があり、中を見学することもできます。東濃地方随一の商業の町として栄えた中津川宿のうだつは、どれも「我が家が…
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- 伊吹山ドライブウェイ
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- 西濃
- 滋賀県・岐阜県の両県にまたがるように所在し、日本百名山の一つである伊吹山(標高1377m)山頂付近まで登れる、全長17kmの自動車専用道路です。昭和40年の開業以来、高山植物や紅葉など四季折々の草花が観賞できます(開花状況は伊吹山ドライブウェイまでお問…
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- 中山道広重美術館
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- 東濃
- 中山道広重美術館は、平成13年9月、歌川広重の浮世絵版画を中心とする美術作品の展示・収集・保管を主な目的に開館しました。収蔵する美術品は、歌川広重がその円熟期に中山道を描いた「木曽海道六拾九次之内」など約500点。それらは田中コレクションとして世に知られ…
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- 岐阜浮世絵春画美術館
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- 岐阜・中濃
- 浮世絵師たちが性愛を肉筆や版画で描いた「春画」は平安時代に始まり、江戸時代に全盛期を迎えました。この春画を約2千点集めたコレクターの柴田正寛さんが館長の「岐阜浮世絵春画美術館」。絵師の繊細な描画、巧みな色使いで描かれた春画の遊女の表情には、もの悲し…
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- 金神社
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- 岐阜・中濃
- 金神社の起源は、西暦135年、成務天皇の時代といわれる由緒ある神社。境内裏手には小円墳が一基あるほか、付近一帯からは多数の須恵器の破片など大量に出土しており、古墳時代の後半に栄えた地区であると推測されています。
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- 長滝白山神社・長瀧寺
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- 岐阜・中濃
- 養老年間に泰澄大師が創建して以来、白山信仰の中心地となり、特に天長5年(西暦828年)天台宗を継いでからは一万三千石の寺領を持ったほど栄えたと伝えられています。 境内には鎌倉時代の作と言われる石灯籠、宝物殿には「正和の壺」他に手鉾・能面など多数の文…
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- 水の都おおがき舟下り
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- 西濃
- 大垣は、地下水が豊富でおいしい水に恵まれていたことから、「水の都、水都」と呼ばれ、現在も自噴井など豊かな水の文化が残されています。市内の中心部を流れる水門川沿いには、季節の自然を楽しみながら歩くことができる遊歩道「四季の路」が整備され、水都大垣にふ…
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- 念興寺の「鬼の首」
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- 岐阜・中濃
- 鬼の首は、950年ごろに高賀山信仰で有名な藤原高光(ふじわらたかみつ)が、瓢ヶ岳(ふくべがたけ)に出た鬼を退治したものだと言われています。徳川綱吉の元禄時代(1688~1703年)にその鬼のシャレコウベを粥川太郎右衛門(かいがわたろえもん)が、念興寺に持ち帰…
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- 大寺山願興寺
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- 岐阜・中濃
- 昭和20年代に建築された駅舎が味わい深い名鉄御嵩駅。この駅を中心に東へと広がる「御嶽宿」は、もともと平安時代に開創された願興寺の門前町として発展してきました。願興寺は、「蟹薬師」とも呼ばれ、創建は弘仁6年(815)という歴史ある古刹。本尊の薬師如来坐像を…
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- 明智光秀の墓(桔梗塚)
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- 岐阜・中濃
- 山県市には明智光秀の出生や晩年に関する伝承が残っています。生誕の地と伝わる中洞地区山県市中洞地区は、明智光秀が生まれた地とされています。この地区の伝承によると、光秀は土岐四郎基頼と、中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、その後、明智城主明…
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- 高山陣屋
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- 飛騨
- 陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。飛騨代官は安永六年(1777)に飛騨郡代に昇格し、当時3カ所あった郡代役所(関東・西国・美濃)と並んで幕府の重要な直轄領となりました。幕…
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- 人道の丘公園
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- 岐阜・中濃
- 人道の丘公園は、杉原千畝の偉大な功績を称え、後世に伝えるための記念公園として建設されました。シンボルでもあるモニュメントは、「平和を願う音楽」を奏でます。その他、日本庭園、芝生広場、子供広場、などがあり、家族みんなで楽しめるスポットです。人道の丘公…
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- 鷺山城跡
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- 岐阜・中濃
- 金華山西北にある標高68mの鷺山。その山頂に鷺山城跡の碑がある。斎藤道三公が土岐頼芸を追放した後、岐阜城を長男の義龍公に譲り、自らの隠居所とした。明智光秀ゆかりの地麒麟がく
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- 臥龍山 行基寺【海津市】
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- 西濃
- 尾張二代藩主 徳川光友の次男・松平義行が、美濃高須藩の藩主として封ぜられたとき、松平家の菩提寺として伽藍を再建し臥龍山行基寺と名付けられました。明治維新に至る160年間、一般庶民の登山参拝は禁止されていました。季節がめぐるたびに変化する美しい絶景「春の…
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- 中山道 太田宿
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- 岐阜・中濃
- 中山道六十九次51番目の宿場にあたる太田宿は、中山道の三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えました。「太田宿中山道会館」を出発点に、皇女和宮下向のおりに新築された「旧太田本陣門」、…
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